<私の恩人>石ちゃん「まいうー」の原点は忌野清志郎さん
10年ほど前になりますかね、フラッと下北沢にある飲み屋に入ったんです。すると、そこのマスターが偶然にも清志郎さんと、ずっと一緒に仕事をしていた方だった。それがきっかけで通うようになり、ある日、その方が年に2回くらい下北沢でライブをやってるというので観に行くことになったんです。 ライブに行ってみると、そのマスターが司会をしてたんですけど、あまりにも下手だったので(笑)、急きょ僕がマイクを取って、司会をやらせてもらうことになりました。それまでの仕事では、音楽との接点はなかったんですけど、ライブのステージに立ってみると、司会するよりも実際に出演者になった方がおもしろそうだと強く思ったんです。だから、「次回からは自分も出る側として参加します」となって、仲間を集めて「下北フレンドポーク」というバンドを作ったんです。 また、そのご縁で、清志郎さんと一緒に「ザ・タイマーズ」のメンバーとして活動していらっしゃった三宅伸治さんと知り合い、三宅さんのプロデュースで、2010年にはシングル『笑っているよ』で歌手デビューもさせてもらいました。 さらに、手前味噌ながら、初めてのアルバム『ロケット』(2月5日発売)を出すことになったんですけど、その作品には山崎まさよしさん、「ゆず」の北川悠仁さんらも、"清志郎さんを慕っていた"というご縁でつながって、楽曲を提供してもらいました。だから、今回のアルバムの"真のプロデューサー"は、清志郎さんだ、とも思っています。 ちなみに、ここまであれこれと話しておいて、何だと思われるかもしれませんが、何回かニアミスはあったものの、結局、清志郎さんとは会えたことはなかったんです。それでも、『人生の恩人』を尋ねられて出てくる名前は、清志郎さんなんですよね。 清志郎さんの周りの方にご縁をいただき、もともと大好きでしかたなかった清志郎さんの話をたくさんうかがって、もっと大好きになりました。今となっては、会えなかったことにも、絶対に何か意味があったんだろうなと考えています。