凡ミスをするAI 新しい「種」とどう付き合うか?
『われはロボット』『鋼鉄都市』などの作品で知られるSF作家、アイザック・アシモフは「コンピューターの人間らしくない部分は、一度適切にプログラムされ、スムーズに機能するようになると、完全な正直者になるところだ」という言葉を残しました。今、何かと話題になっているAI(人工知能)はどうなのでしょうか? 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、AIについて「ミスをしないというコンピューターの長所を切り捨てたときに誕生した新しい『種』」といいます。新しい種と人間の関係はどのようなものになっていくのでしょうか。若山氏が独自の視点で論じます。
強いAIほどミスをする
毎日のように碁を打っている。 人間とも打つが、AIとも打つ。今の囲碁界はAIブームで、AIの打つ手によってこれまでの定石がくつがえされつつあるのだから、古くから積み上げられてきた盤上の論理に一種の「神」が降臨したといっていい。 前回、AIは「脳の外在化」を進める人類という種の必然として、その歴史に重点を置いて書いた。今回は、囲碁というゲームをとおして感じるAIの性質から論じよう。 チェスや将棋では早くからコンピューターがプロを打ち負かしたが、囲碁のソフトはなかなか強くならなかった。それだけ着手の選択肢が多いのと、評価関数を決めるのが難しかったからだという。しかし数年前、アルファ碁(AlphaGo)というソフトが世界のトッププロを打ち負かして以来、にわかにAI=人工知能がクローズアップされた。つまり囲碁が、今日のAIブームに火をつけたようなところがある。 十年ほど前までは使い物にならないほど弱かった囲碁ソフトが、ある時点からメキメキと強くなったのだ。モンテカルロ法という乱数発生による試行錯誤の手法が導入されてからである。このネーミングはカジノからで、つまりすべての選択肢をしらみつぶしに検証していく「ツリー型」の思考過程ではなく、確率論的な考え方によって検証手順を省くのである。ありていにいえば「いい加減に」打つのだ。たしかに囲碁では、チェスや将棋と違って、盤全体を論理的に検証するより、考える場所を直感的に限定していることが多い。 そして近年、ディープラーニングという生物の脳(ニューラルネットワーク)に似た多層の回路による試行錯誤の繰り返しの手法が導入され、さらに強くなり、ついにトッププロを打ち負かしたのである。 だがおもしろいことに気がついた。強くなったソフトはよく凡ミスをするのだ。 弱いときのソフトはツボ(特定の論理回路)に入ったら絶対にミスしないが、強くなったソフトは人間と同じようなところでポカ(平凡かつ致命的なミス)をする。これをプロ棋士にいったら「それは面白い。プロの世界でも強い人にそういう傾向がある」という。 学者でも、芸術家でも、そういう傾向があるように思う。建築の研究でも設計でもそうなのだ。細かいところでミスをしないように努めると、独創的な発想ができないのである。しかし逆に「神は細部に宿る」という言葉があるように、細部への着目が大きな想像力につながることもある。この二つの論理は矛盾しないように思う。 普通の人生でもそうだ。あまり細かいことにこだわると、人生と世界の大局が見えない。しかし誰も気づかない細部の発見が、人生観と世界観を変える。ミスをしない人より、ミスを恐れない人の方が、いやミスを飲み込む人の方が強い。 つまりAIは「計算間違いをしない」というコンピューターの神話的な長所を切り捨てたときに誕生した新しい「種」である。