70年目の広島・長崎 「核のない世界」へ日本ができること
広島は8月6日、70年目の「原爆の日」を迎えました。人類史上、初めての原爆が投下された広島では平和記念公園で平和記念式典が行なわれ、「核の廃絶」を誓いました。核兵器の脅威、危険性は、広島・長崎に原爆が投下されて以降、ずっと世界で認識されたことですが、依然として「核のない世界」は実現していません。核廃絶、核軍縮を阻むものは何なのか。唯一の戦争被爆国として日本は何ができるのか。国連の軍縮大使などを務めた美根慶樹氏に寄稿してもらいました。 【関連記事】70年目の広島・長崎 「原爆の父」科学者の後悔
各国に与えた広島・長崎の衝撃
70年前、広島・長崎に投下された原爆のものすごい破壊力は瞬く間に各国に伝わり、数か月後の1946年1月に国連が活動を開始した時には、各国とも、このままではいけない、世界を核兵器の惨禍から守らなければならない、という考えを強くしていました。 そのことを物語っていたのが歴史的な「国連総会決議第1号」であり、同決議によって原爆など大量破壊兵器の廃絶のための方策を検討する国連原子力委員会の設置が決められました。過去70年間を振り返ってみて、各国が核兵器廃絶にもっとも力を入れて取り組もうとしていたのは、この時だったのではないかと思われます。 しかし、核についての危険の意識と廃絶の熱意だけでは核軍縮は進まないことがすぐに露呈されてきました。米国以外の国は、一方では、核の廃絶に賛成しつつ、他方では、自ら核兵器の開発を急ぎました。そして、米国に4年遅れてソ連が核兵器の開発に成功し、さらに英国、フランス、中国と続きました。国連で各国が決意した廃絶が実現する前に、核兵器が5か国に広がってしまったのです。 しかも、原爆の数千倍の破壊力を持つ水爆が開発され、また、核兵器の絶対数も増加し続けました。その結果、米ソ両国だけで7万発以上の核兵器が生産され、もし何らかのきっかけで核戦争が起これば地球はほぼ確実に壊滅するという恐ろしい状態に陥りました。
核兵器削減を阻む「核の抑止力」
さすがに米ソ両国としても、このような状況は放置できず、核兵器の削減を始めました。 核兵器の保有数は、現在、5か国の合計で2万発以下になっていると推定されています。全体として見れば、核軍縮ははたして進展していると言えるか、疑問の声があるのも事実です。 核問題に関係する人々の間でよく知られている例え話が、「コップの中に水が半分入っている場合、半分も減ったと見るか、半分しか減っていないと見るか」の違いがあります。つまり、現在、世界に存在している核兵器の数量は、観点によって、まだ多過ぎるとも、かなり少なくなったとも言えるのですが、米ロ両国の保有量が絶対的に減少しているのは事実です。 核兵器の削減が期待通りに進まない主要な原因は、「核の抑止力」のためです。核の廃絶の努力が続けられる一方、世界が東西に分かれて鋭く対立する過程で、核兵器は相手の攻撃を抑止する力であり、必要であるということが認識されるようになったのです。 現実の国際政治の中で一種のジレンマが生まれたのです。核兵器は危険だから廃絶しなければならない。しかし、核兵器を持たないと安全を確保できなくなるというジレンマです。理想は、世界の核兵器を一度にすべて無くしてしまうことですが、世界政府が存在しない今日、それを実現する手段はないからです。このジレンマは、残念ながら、今日も解消されていません。