国語の勉強つまらない人に欠ける“古文の奥深さ”。解釈が色々あるからこそ、学んでいて面白い
ですから当時の貴族たちも、この「枕草子」を読んで、それぞれの美しさを語り合ったことでしょう。 清少納言の中では「答え」があるのかもしれませんが、それだけを読者に押し付けているわけでは決してないのだと思います。おそらく、自身の読み方以外の「美しさ」も認めているのが、この冒頭部分なのではないでしょうか。 さて、冒頭の話に戻りましょう。「古文の勉強なんて必要ない」と思う人もいるかもしれませんが、たくさんの解釈を楽しめると思うと、古文の勉強が楽しく感じられるようになります。
■古文以外の本を読むときにも通じる 答えがないからこそ、いくらでも文章を楽しむことができる。何度も読み返す中で、解釈が変わり、その感覚が楽しい。それぞれの「美しさ」「正しさ」「答え」があってもよくて、無限に解釈が分かれるからこそ面白い。 これは今を生きる私たちにも通じる考え方だと思います。古文以外の本や文章を読むときのスタンスも、こうあるべきだと私は思っています。古文の勉強をする中で、こうした「文章を楽しむ能力」が養えるようになっていくのではないかと感じるのです。
辻 孝宗 :西大和学園中学校・高等学校教諭