知将に導かれ東洋大が急成長の日本一、「新潟で吸収したものを還元」DF稲村隼翔らの4年間は大学サッカーの新たなモデルケースか
[12.28 インカレ決勝 東洋大1-0新潟医療福祉大 栃木県グリーンスタジアム] 【写真】「イケメン揃い」「遺伝子を感じる」長友佑都の妻・平愛梨さんが家族写真を公開 アルビレックス新潟のユニフォームを着て観戦している観客も、試合を重ねるごとに増えていった。準決勝では、新潟に同期入団するFW笠井佳祐を擁する桐蔭横浜大と対戦。決勝では新潟県にある新潟医療福祉大との激突となり、DF稲村隼翔(4年=前橋育英高/新潟内定)も「縁があるかもしれないですね」と笑った。 稲村自身は“決勝のリベンジ”の気持ちがあったという。今季、新潟の夏場以降の戦いで欠かせない戦力となった稲村は、クラブ史上初となるルヴァン杯決勝を戦ったピッチにも立ち、悔しい思いを経験した。「個人的になるのでチームには出さなかったけど、個人的には決勝のリベンジを考えながら、決勝で勝ち切るとことを頭に入れていた」。上った山は違えど、頂から見える景色はやはり格別だった。 1966年創部の東洋大サッカー部は、2007年より大宮アルディージャと提携することで本格的な強化を開始。坂元達裕(コベントリー)が卒業生として初めて日本代表に選ばれるなど人材を輩出すると、2020年に大宮から派遣される形で井上卓也氏が監督に就任した。 そして千葉でイビチャ・オシム監督の下でコーチを務めた実績を持ち、ドイツ体育大学ケルンに留学経験を持つことから大宮では通訳なども歴任した知将の就任から、チームが好成績を残し始める。当時は関東2部所属ながら、21年度の総理大臣杯で準優勝。3年目より1部に昇格すると、年々と順位を上げ、今季は過去最高の3位。そして2年連続3度目の出場となったインカレで、初の日本一に立ってみせた。 今年の4年生がスカウトから関わった初めての世代だった。井上監督は「怪我をした選手や、4年目で芽が出た選手もいた。成長はゆっくりだったかもしれないけど、リーグ戦も前半戦は勝ち点を思うように取れなかったけど、取り組み方が変わって、後期は勝ち点を積み重ねることで自信を深めた。バラバラではなく、ひとつにまとまれることがこのチームの強さ。すごく誇らしい」。自身の手腕よりも、まずは愛弟子たちの頑張りを称えていた。 そしてこの年代には、在学中からJリーグで結果を残す選手が複数いたことも、相乗効果として成長に繋がっていた。主将MF中山昂大(4年=大宮U18/大宮内定)も「凄いなというのと同時に、悔しいな、自分たちもこの舞台でやりたいなと思ったと思う」とチーム全体に意識が広がっていたことを認める。 その先頭に立っていた2人の選手も競い合うようにして成長をみせたことで、結果的にチームの日本一に繋げた。稲村と新井悠太は大学3年生だった昨年6月に1日違いで2年後のプロ入り内定を発表。そもそも2人は前橋育英の同級生でもあり、4年後のプロ入りを誓い合って東洋大に入学してきた仲だった。 先に新井が大学3年生の夏に、東京ヴェルディの特別指定選手として鮮烈デビュー。ただ「デビュー戦で点を決めたときは新潟の寮にいたけど、その日はあまり寝れなかった」と振り返るほど悔しさを感じていた稲村が、今季は新井がうらやむほどの大活躍をみせた。そして2人の活躍に比例するかのように、チームは大学日本一を狙えるチームへと変貌を遂げていった。 「新潟に行くたびに何かを吸収して帰って来いと言われていた。自分も帰ってきた時にはしっかりとチームに還元させて、その結果、(関東リーグの)後期は1敗しかせずに3位にまで行けた。そこはいい還元ができたと思っています」(稲村) 優勝を告げるホイッスルがなると、稲村と新井はしばらく抱き合っていた。「今年は悠太が苦しんだ中で、最後に点を取って勝たせたことはすごく感じるものがあった。最後、日本一を取って終われたので、2人で泣きそうになりました」。Jリーグで活躍しながら、母校に日本一をもたらす。2人が過ごした4年間は、今後の大学サッカー界に残す最高のモデルケースとなったはずだ。