【訃報】”虎ハンター”小林邦昭さんが68歳で死去 最大のライバルにして盟友、初代タイガーマスクが追悼メッセージ「2週間前に『元気になってメシ行こう!』『それじゃ元気で!』と言い合っていました」
“虎ハンター”の異名を取った元プロレスラー・小林邦昭さんが9日に亡くなっていたことが分かった。 小林さんは1972年に新日本プロレスへ入門し、1973年にデビュー。 メキシコ武者修行後の1982年からは初代タイガーマスク(佐山サトル)との抗争で人気を博し“虎ハンター”の異名を取って大暴れ。 長州力ら“維新軍団”として新日本を離脱してジャパンプロレスへ。全日本プロレスでの2代目タイガーマスクとの抗争を展開して人気を博し、1987年に新日本へ復帰。その後は反選手会同盟や平成維震軍で活躍。2000年4月21日に引退し、新日本プロレスの道場管理人として後進の育成に努めていた。 小林さんは1992年7月に大腸ガンが発覚。その後は1993年2月に復帰を果たすものの、1999年にはガンが肝臓に転移し肝臓切除手術も行った。ガンと闘いながらも現役を続けた小林に勇気付けられた人間は多い。 小林さんの現役時代を見たことがないファンも増えているが、獣神サンダー・ライガーの引退試合への登場や節目節目のセレモニー等で登場することも多く、なにより後輩を見守るお父さん・おじいちゃん的なポジションとして現役選手の口から語られる機会も多くファンの知名度は未だに高い。 昨年10月には、復帰を目指して病と闘う初代タイガーマスクを元気付けるためのトークショーに出演し、「これからもプロレス界をバックアップして頑張っていく」と佐山サトルに花束を渡し激励していた。 小林さんの死去に対し、最大のライバルにして盟友であった初代タイガーマスク(佐山サトル)も追悼のメッセージを発した。 初代タイガーマスク 佐山サトル 「今朝、電話が鳴り響いた時、嫌な予感がしました。体調が悪いのは、二週間前の電話の声で、わかっていました。その時、『俺達、良い試合をしたなあ』と言うので、タイガーマスクでの試合の事かなと思い、私はその気で思い出を話すと、何と、小林さんは若手時代の事を淡々と意味深げに話すのです。五分位で疲れたトーンになって来たので、『元気になってメシ行こう!』『それじゃ元気で!』『元気で!』と言い合って電話を切りました。3日前掛けた電話の返信がなく、心配をしていたところへ、四代目からの電話です。私は体が沈み込むのが分かりました。青春を共有した戦友。最高のライバル。思い出は沢山沢山あります。小林さん有難う御座いました」
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