パリ五輪・大岩剛監督、幼馴染の「名波は代表コーチに適任だと思う」
AFC U23アジアカップが4月16日にスタートした。パリ五輪出場権を賭けた大会へ挑むU-23日本代表チームを率いるのが大岩剛監督だ。サッカー強豪地である静岡県清水に生まれ、何度も日本一に輝き、プロ入り後も名古屋、磐田、鹿島でリーグと天皇杯でそれぞれ4度優勝している。鹿島での監督時代の話を訊いたインタビュー2回目。同級生の日本代表コーチ・名波浩についても伺った。 【写真】パリ五輪を目指すU-21日本代表監督、大岩剛
5人の交代枠やVAR導入で戦術論は大きく変わった
――2000年、名古屋グランパスから、ジュビロ磐田へ移籍。当時の磐田はアジア王者に輝き、数多くの日本代表が在籍する個性派集団でしたね。そして、2003年からは鹿島アントラーズに。鹿島では2007年からリーグ3連覇を達成しています。時代を代表するふたつの強豪クラブの印象について教えてください。 「名古屋でも天皇杯を2度獲っています。いい日本人選手も在籍していたけれど、どちらかといえば、ピクシー(ドラガン・ストイコビッチ)などの外国人選手に引っ張ってもらっての優勝だったと思います。そして、移籍したジュビロはベテランから若手まで、日本代表クラスの選手が揃う選手層の厚いチーム。そんな選手が中心となって生まれた戦術が他チームとは異なり、圧倒的な強さを誇っていたと思います。タイトルは2000年のリーグ優勝だけですが、シーズンを通して、ほとんどの試合でゲームを支配するような戦いができたと思っています。鹿島も才能豊かな選手が揃っていたうえに、いわゆるジーコスピリッツがあり、強いメンタリティを持つクラブ。名古屋、磐田、鹿島とそれぞれチームの在り方がまったく違いましたね」 ――だからこそ、刺激も多かったのではないでしょうか? 「そうですね。それぞれに魅力がありました。でも、同じチームを作れるかといえば、それは不可能に近いと思います。なぜなら、そこにいる選手が違うわけだから。ただ、監督という仕事をするうえで、今、手元にいる選手でどういうことができるのか、いかに積み上げていくのかを考えるうえでは、キャラクターの違う3つのクラブでの経験はとても参考になります」 ――フランス人のベンゲル、鹿島ではブラジル人指揮官のもとでプレーされたわけですが、彼らの組織づくり、マネージメントの方法論も異なりますか? 「ブラジル人とヨーロッパの人とは考え方がすごく違うと感じました。それぞれに良いことがあるので、自分の仕事に活かしていきたいですね。ただ、もう20年、30年前の話になるので、まったく同じようにはできません。たとえば、戦術で考えても、現代サッカーは非常に複雑化しています。かつてのスタイルはオールドスタイルと言ってもいいほど。ここ数年、選手交代の最大数が3人から5人に変更されたことで、まったくサッカーが変わりました」 ――新型コロナウイルスの蔓延により世界中でリーグ戦が中断。再開後の過密日程を消化するために、選手の怪我リスクを考慮し、2020年に最大交代人数を変更されたわけですが、一時的な措置から、恒久化されることになりました。 「多くの選手を交代させられることで、強度の高いサッカーを継続できるようになったと思います。3人だけだと、後半は違うサッカーをしなくちゃいけなくなるケースもありましたが、5人となれば、考え方が変わります。また、VAR(ビデオ・アシスタント・レフリー)の導入も大きな変化ですね。僕が鹿島の監督時代には、どちらもありませんでしたから。ルールの変更、戦術の多様性、あとは選手のアスリート化というのもまったく変わっているので、過去の経験を参考にしつつも、今何ができるのかっていうことをものすごく重要視しています」