助けられてここまでたどり着けた、着実な一歩踏み出す人達【河原小避難所】
約2カ月半前、熊本県西原村の避難所となった河原小学校体育館で出会った人たちを訪ねてみた。それぞれ様々な思いを抱えながら、一歩を踏み出していた。
被災直後も避難所から、職場の高齢者デイサービスセンターに通勤
「今日の気分はどうね?」。救護班の一員として走り回っていた坂本みどりさん(56)は、職場の高齢者デイサービスセンターに復帰。80~90歳代の約20人のケアに追われている。 実は本震から2日後の4月18日。被災直後も避難所からセンターに出勤し、利用者の自宅を回っていた。断水や停電した家もあり、数人を高齢者ホームに預ける手続きを取ったという。21日には、8人の入浴介助や、保管していた米や野菜で簡単な食事を提供。22日には通常営業を再開した。 「働いていると、日常を取り戻したようで、ほっとするけど……」 坂本さんはやや複雑な表情で話した。西原村からセンターがある熊本県高森町までは車で約50分。高森町は被害が少なかったため、ほぼ地震前の姿を取り戻した。一方、自宅がある西原村には、いまだに屋根がブルーシートで覆われた家屋が点々とあり、約90人が河原小で寝泊まりしている。 「みんなはまだまだ大変なのに、自分が日常を取り戻していくのが、なんとなく居心地が悪い気もする」 とはいえ、坂本さんの生活も平穏には程遠い状況のままだ。高台に建っていた自宅は、崖下の集落に崩落する恐れがあったため、すぐに解体した。社交的だった両親の元に友人が次々に集った思い出の家に、ゆっくり別れを告げることもできなかった。自宅近くでアパートを借りたが、農業に携わる夫は地震の影響で病気がちに。 「自宅跡に小さな家を建てたいが、地盤が大丈夫かどうか……。考え始めると悩みは尽きない」
避難所の給食班長も、地震から3週間後に職場復帰
避難所で給食班長だった会社員、緒方伸行さん(57)。被災直後、住民自ら炊き出しを続けていたとき、混乱が起きないよう、自衛隊に所属していた頃のノウハウを活かし、避難者への配食がより円滑に進むよう指揮していた。自宅はほぼ無事だったため、5月初旬に帰宅。ゴールデンウィーク明けに会社に復帰した。 「被災から、とにかく人に助けられて、ここまでたどり着けた」という思いでいっぱいだ。 神棚から食器棚まで、家具や食器などが、散乱した室内。田植えの時期も過ぎようとしているのに、所有する田畑には、手をかけないうちに雑草が生い茂っていた。避難所生活で疲れ、何をするにも、なかなか気力が起きなかったという。 そんな緒方さんを支えてくれたのが、災害ボランティアたちだった。捨てるものを運んでくれたり、草を刈ってくれたり。再就職先に1カ月、入社を延期してもらい、手伝ってくれた人もいた。 「避難所運営のため、解雇も覚悟し」、3週間も会社を休んだが、上司は受け入れてくれ、しばらく水が出なかった自宅に、数回、水を運んできてくれたという。緒方さんは「皆さんの厚意に救われた。今度、どこかで災害が起きたら、恩返しのつもりで、自分も手伝いに駆けつけたい」と語った。