考察『不適切にもほどがある!』5話。宮藤官九郎は死と震災を描き続ける
いい感じだった小川市郎(阿部サダヲ)と犬島渚(仲里依紗)の本当の関係が判明する急展開!『不適切にもほどがある!』(TBS金曜夜10時~)5話を、ドラマを愛するライター・釣木文恵と、イラストレーターのオカヤイヅミが振り返ります。 【記事中の画像をすべて見る】
古田新太の若い頃!錦戸亮登場
えば、2002年放送の『木更津キャッツアイ』からしてそうだった。木更津の町で日々を持て余す若者たちを描いたこの作品で、主人公・ぶっさん(岡田准一)は若くして余命半年を宣告されていた。『俺の家の話』(2021)でも、死はそばにあった。宮藤官九郎は、日常の中でしれっと生のそばにやってくる死を描いてきた。『不適切にもほどがある!』5話もそうだ。 渚(仲里依紗)に父親を紹介された小川市郎(阿部サダヲ)。そこにいた渚の父・ゆずる(古田新太)は市郎を「おとうさん」と呼ぶ。ゆずるは市郎の娘・純子(河合優実)の夫であり、渚は市郎の孫だったのだ。 ゆずるによって語られる、純子とのなれそめ。回想に登場する若きゆずるを演じるのは、錦戸亮。宮藤脚本の『流星の絆』(2008)、『ごめんね青春!』(2014)にも出演していた錦戸。宮藤作品での彼は、甘いマスクの愛すべきバカで、切なさを秘めたキャラクターであることが多い。ゆずるも、そんな男だ。肩パッドの入ったシルバーの背広で結婚の挨拶にやってきて、父親に向かって「他の女とは別れます」と言い、「僕の本気を見ていただくしかない」とディスコダンスを踊る男(古田&錦戸の、このダンスがよかった!)。バカだ。バカだけれど、結婚を認めてくれない義父に投げる視線に込められた悲しみや、必死に慣れない採寸をしようとする姿に、胸がきゅっとなる。
タイムスリップしたから着ることのできた背広
やがて、市郎は令和の世界で改めて仕立て屋を営むゆずるの元に採寸に行き、1995年に阪神・淡路大震災で純子と、そして自分が亡くなったことを知る。市郎を前に、純子の現在をあんなにもばかばかしくごまかしていたシーンの印象が変わってくる。渚の「(だっこを)今してよ」も、それを見たゆずるの涙も、そういうことだったのだ。 市郎は、最初(1話)から「阪神・淡路の年に母が死んじゃった」と渚に聞かされていた。だから、渚が孫だと分かった時点で、純子の死には気づいていた。けれどそのことをおくびにも出さず振る舞っていた。 「でもよかった。ちゃんと打ち解けて、仲直りして、酒飲んだり、孫抱っこしたり。そういうの、ひととおりあるんだ、これから。楽しみだ」 若い頃の自分を責め、頭を下げるゆずるに対して、市郎はそう声をかける。ゆずるが初めて仕立てた背広を着た市郎の姿。 タイムスリップしなければ永遠に袖が通されることのなかった背広を着て、孫娘の前に立つラストシーンに、昭和の頃はよく聞いた気のする、そして今はあまり聞かなくなった「男のやせ我慢」という言葉が浮かぶ。別に令和の人たちがそうじゃないというわけではないが、自分が、娘が死ぬことがわかっても取り乱すことなく受け入れる市郎にどこか「昭和の男」を感じた。 宮藤は連続テレビ小説『あまちゃん』(2013)で、東日本大震災を描いた。『季節のない街』(2023)では、原作となった山本周五郎の小説で「街」として描かれた舞台を、震災による仮設住宅に置き換えた。そして、令和と昭和を行き来するタイムスリップコメディのこの作品でも、こうして震災が描かれた。震災も、死も、なんでもない日々の隣にある。 この、おそらくドラマ全体を通じても大事な展開を、「大人計画」の阿部サダヲと、「劇団☆新感線」の古田新太、それぞれの劇団の看板役者が演じるのも、しみじみよかった。