ゲノム編集で「超人」を作ることは許されるのか?…「遺伝的強化」をする前に検討すべき問題
進化を進歩に変える試み
しかし倫理的な問題はさておき、得られた知識を遺伝的強化という応用に移す前に、検討すべき問題が三つある。第1に、果たして私たちは自然──生物としての人間を、どこまで正しく理解できるか、そして正しく理解したという判断、つまり応用を進めるのに十分な科学的根拠があるという判断は、どうすれば可能なのかという点だ。 例えば無限の複雑さを持つ人間の精神活動の解明は容易でなく、因果関係がわからぬまま相関関係だけに基づいた憶測や、再現性に乏しい研究結果も非常に多い。特に個人の道徳性は、時間や状況によって安定しないものである。遺伝的な要因は、道徳的行動の個人差に対し限定的な影響しか持たない、という意見は依然として強い。 第2に、幸福や個人の利益は、多元的であるという点だ。例えば、双極性障害や統合失調症のリスクを高める数千のSNPs(*)が知られているが、それが可能かどうかは別として、これらの遺伝子を避け、受け継がないようにするのは、個人の幸福と利益を高めるだろうか。実はこれらの遺伝子型から求められた双極性障害と統合失調症リスクが高い人ほど、俳優、ダンサー、音楽家、作家などアーティストとして雇用されているか、その組合に所属している確率が高い、という報告がある。不幸のリスクは成功や幸福のポテンシャルと拮抗する可能性があるのだ。 個人や社会の価値観は変化するし、何が幸福かは本人でさえ決められない場合も多いだろう。 そして第3は進化だ。サヴァレスキュによれば、「人類の次の進化は、合理的な進化である。生き残り、繁殖し、病気にならない可能性が最も高く、最高の人生を送る機会が最も多い子供が選ばれる」のだという。 進化は進歩ではない。偶然のせいで、どこに向かうかわからない。不幸な未来が待っているかもしれない。それなら人間の力で進化を進歩に変え、幸せな未来にしてしまおうという意味だろうか? もしそうなら、意図的な遺伝子の選択と改変により、目標も方向もなかった生物進化に、幸福、という目標が与えられることになる。サヴァレスキュはこう述べている。 「これまでの進化は、私たちの人生がいかにうまくいくかと無関係であった。しかし私たちはそうではない」 さて、この言葉の意味は何か、またそれが可能かどうかは別として、人類の進化が進歩でないと気づいただけでなく、それを進歩に変えてしまおうと考えた人々は過去にいた。歴史は問題を解決したり、答えを出してくれるわけではない。しかしどんな考えで何をすれば何が起きるか、何を覚悟しなければならないかは教えてくれる。 功利主義者であるにもかかわらず、現代のリバタリアニズムの規範を掲げたミルは1873年、皮肉にも自伝にこう記している。 「人間の性格の顕著な差異をすべて生得的なものと見なし、その大部分を消えないものと考える傾向があること、そして個人、人種、男女の違いにかかわらず、性格の差異の大部分は環境の違いで生じるだろうし、それが当然だという、動かぬ証拠を無視する傾向が広くあることは、重要な社会問題を合理的に扱ううえで大きな妨げとなり、人類の改善にとって最大の障害の一つだと長い間感じてきた」 というわけで、もう一度19世紀末に戻ろう。努力して得た力は子々孫々に受け継がれる、と考えたスペンサーが、幸福な未来の実現を信じて自助努力による進化を説いていた時代、一方、ハクスリーやその意を受けた者たちが、そうした「進化の呪い」を解いて、そのかわり予測も期待もできない、どこへ向かうかわからない未来の姿を社会に示そうとしていた時代である。 * 連載記事〈多くの人に誤解されているダーウィンが言った「進化」の本当の意味…「進化」という語を最初に使ったのはダーウィンではなかった「驚きの事実」〉では、ダーウィンが言う「進化」の意味について、くわしくみていく。 ※SNPs……一塩基多型。個人間における、ヒトの遺伝情報を担うDNAの塩基配列における1塩基の違い。塩基配列の違いが1%以上の頻度で出現しているとき、その塩基配列の違いを多型と呼ぶ。1%以下である場合は、変異と呼ぶ
千葉 聡(東北大学教授)