校長先生の名前、誰も覚えてない説
三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第146回は、教育における「伝統」の意義を考える。 【マンガ】ファッ!?世の中のルールが「赤いフンドシ」ってどういう意味? ● 実は校長先生って… 投資部の創始者の財前龍五郎は、社会の決め事やルールには、いつしか誰もが疑わずに従うようになる力があると説く。いったん定着した慣習的な決まりは時間をかけて「伝統」となり、それ自体が価値を生むようになると喝破する。 「慣習は伝統になり 新たな価値に生まれ変わる」。若い頃の私なら、この龍五郎のセリフに反発を覚えただろう。昔から続いているだけでなぜ価値があるのか、と。だが、今はこの言葉の重みがよく分かる。伝統には侮れない力があると経験的に知っているからだ。 最近、改めて伝統の価値を実感するきっかけになったのが、千葉商科大学付属高校の校長職を引き受けたことだった。経緯などは私のnoteに詳しいので興味があればご一読を。 来春の校長就任を想像して「校長って、生徒にとってどんな存在だろうか」と考えてみて、自分が小中高の校長の名前をひとりも覚えていないことに気付いた。 無論、校長の話など欠片も記憶にない。「その程度のモノだよな」と肩の荷が下りたような気になったのだが、その時、ふと「自主の庭」というフレーズが頭に浮かんだ。 出身校・愛知県立中村高校の校風を表す言葉で、校歌にも「自主の庭ここにあり」という一節がある。「自主」というくらいだから、訓示みたいに押し付けられたわけではないが、振り返ると、確かにこの「自主の庭」は中村高校という空間に漂う共通の価値観になっていた。 ● 「校歌」に込められた伝統の精神 気になって母校のサイトを見てみたら、「目指す生徒像」として「校歌の一節『自主の庭』の精神を受け継ぐことができる人」とあり、頬が緩んだ。 サイトの年表によると開校が1953年、校歌制定が1958年。「自主の庭」は私が入学した時には30年ほどの歴史を積み重ねていたようだ。 自主性を重んじる空気は、のびのびとした校風とともに、浪人率の高さから「4年制高校」と自称するような「伝統」にもつながっていた。現役合格した私は、多くの浪人組の友人たちから裏切り者扱いされたものだった。 お断りしておくと、私は「自主の庭」という校風にひかれて高校を選んだわけではなく、在学時も特段それを意識することはなかった。いわば空気の中に巻き込まれただけなのだが、それでも卒業して30年経った今でも少なからず影響を受けた自覚がある。これこそ、伝統の力なのだ。 千葉商科大学付属高校の教育理念は「柏葉の精神」。校章も柏の葉を象ったものだ。 柏の葉は秋に枯れた後も落ちず、冬を越し、春の新芽を待って散り落ちる。そして新芽はすぐに大きく美しい葉に育つ。厳しい季節を乗り越える強さと、後進に確かにバトンを繋いでいく心の在り様を示している、と私は解釈している。 正直、「柏葉の精神」はまだ今の私にはしっくり来ない。しかし、高校に日々通い、数年経てば、それが自分の一部のように馴染んでくるだろうという予感はある。人を巻き込み、価値をもたらす力が伝統にはある。 すっかり忘れているつもりかもしれないが、中学、高校の校歌を思い出してみてはどうだろうか。
高井宏章