西武線で広がった“秩父の味” 風土が生んだ伝統野菜の漬物「しゃくしな漬」 ファン増えても地元で地道に
秩父地域の食卓に欠かせない漬物「しゃくしな漬」。歯切れのよいシャキシャキとした食感があり、かむほどにうまみが広がる。適度なしょっぱさとあめ色の艶が食欲をそそる。酸っぱくなった古漬けは油で炒め、しょうゆや鷹(たか)の爪で味付けしても絶品。まさに最強の“飯の友”だ。 秩父地方の伝統野菜、しゃくし菜の正式名称は「雪白体菜(せっぱくたいさい)」。葉の形が「飯じゃくし(しゃもじ)」に似ていることから、秩父ではこう呼ばれている。 「この辺の土壌は硬く、ダイコンが育ちにくい。その代わり、それほど根を張らないしゃくし菜を育て、冬の保存食としてどこの家でも漬物にしたものだ」と石川漬物(埼玉県小鹿野町)社長の石川雅章(56)は言う。以前は、各家庭でしゃくし菜を大きな樽(たる)で漬け込むのが晩秋の風物詩だった。 「しゃくしな漬」を最初に商品化したのは石川漬物の先代社長で父の幸次(84)だ。幸次は都内の漬物会社で働いた後、1963年に独立。秩父や長野などから野菜を買い付け、樽漬け(塩漬け)したものを市場に卸した。
当時は各家庭で漬物を漬けるのが当たり前の時代。赤字が続き、売れ残った大量の漬物は廃棄せざるを得なかった。「子どもの頃、ごみ処分場に捨てに行く父親について行ってね」。漬物だけでは生計を立てられず、幸次はトラック運転手などをして家族を養った。 転機は、69年の西武秩父線の開通だ。西武秩父駅の売店の担当者が、秩父の土産物として「しゃくしな漬」に目をつけた。売り場では小さな樽に入れて販売していたが、丈のあるしゃくし菜を縦長の袋パックに詰めたアイデアも客の心を捉えた。 しゃくし菜の収穫は10月末から始まる。昨年、石川漬物では約300トンのしゃくし菜を契約農家やJAちちぶ(秩父市)から買い付け、仕込みを行った。根元に土やごみが残らないよう洗浄を繰り返し、半月ほど下漬けをして、乳酸発酵を促す本漬けに進む。発酵しすぎると変色しやすく酸味も強くなるが、長年の試行錯誤で幸次が編み出した技術により、風味と色はそのままに品質を一定に保つことができるようになり、通年出荷が可能となった。