「手塚治虫先生の作品に出会ったことで…」連載20年超! 漫画『彼岸島』…広がり続ける世界観の原点
気になる今後の展開と結末は……
描きたいものが見えてこない時は「苦戦」するが、逆に、描きたいものがあって、それを表現できない・どう表現したらいいか悩む時の「苦戦」は新たな可能性を広げるものらしい。 「最近の展開だと、遊郭が出てきたんですね。たまたま妻がどこかの田舎の遊郭の少女漫画みたいなものを読んでいて、いろいろ話しているうちに、不幸な女性たちだけど、それはそれで懸命に生きていたんだみたいな感覚を入れたいという感情がまず出てきて。 さて、その感情を『彼岸島』でどうしよう、全然関係ない話だし……と思った時に、このキャラを絡めればできるなどといった展開が見えてくるんですね。 具体的にいえば、さらわれたユカポンが遊郭で働かされれば、自然と内情も描けて働く女性たちも描けるし、主人公たちが助けに行くのも自然な流れだと思いついた、ということです」 読者が続けてほしいと望んでくれ、自分自身もそれを望んで、ずっと次が浮かぶなら、生涯描き続けたいと話す松本氏。 ちなみに、結末だけ決まっているなんてことは? 「どうだろう。ふわっとは何度かは考えていますが、その通りになるかどうかも全然分からないですね」 同じ人物で、同じ設定のもとに、20年超も描き続ける中で、全く違う発想の新しい漫画を描きたいと思うことはないのだろうかと聞くと……。 「いや、あんまりならないんです(苦笑&困惑)。だって、遊郭の話もそうでしたけど、なんか思いついたら『彼岸島』の中にどう入れようかと考えていくから。 『彼岸島』はまったく別の世界のものでも、どんな要素でも入れられる箱みたいな感覚があるんですね。 例えば、実在した遊郭の歴史を描きたいとなったら無理ですけど、僕はそこには別に興味なくて、その中の僕が描きたい感覚やニュアンスだけ部分的に抽出して入れているから」 さらに松本氏は真っすぐ綺麗な眼で、その根本についてこう分析する。 「たぶん僕は普通の感覚と違うんだと思います。 アシスタントとゾンビの話をしていた時も、アシスタントは『ゾンビ映画は思いっきり人肉を食うことがキモだ。でも、それを漫画で描くと怒られるからゾンビは描けない』と言うんですね。 本来のゾンビ映画はそうなのかもしれません。でも、僕はそれ(人肉を食うこと)にこだわりはほとんどなく、興味があるのは、追い込まれた人たちがどうするとか、感染して身内が変わっていくのをどうするといった人間の感情なんです。 具体的なシーンなどを描きたいとなると、たぶんジャンルを変えないと無理だったりしますが、人間の感情が描きたい場合、具体的な部分は何にでも差し替えがききます。だから僕はどんなものでもだいたいここ(『彼岸島』)に運んでくることができるんです。 新しいテーマを見つけたら、新しい漫画を描いているぐらいの気分で『彼岸島』に入れてるんです。 明たち主人公は、敵側から見たらただの猟奇殺人者だという展開も、連載当初には『読者が混乱する』と何度も止められました。 でもここまで長く続けて世界観が定着してくると、その世界観自体をひっくり返す展開でもそれも新たな目線としてちゃんと読者に理解してもらえる。ここまで続いた今だからできることがちゃんとあるんですよ。 自分の中の描きたいものが湧き続ける限り、ずっと描き続けられる気がします」 『彼岸島』はどんな要素もどんな設定・世界観も丸ごと飲み込み続け、無限に広がり続けるブラックホールのような作品なのだった。 取材・文:田幸和歌子
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