全員の好演が光るドラマだった『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』最終回を終えて
■耕助を含む岸本家全員の頭をやさしくなで、包み込んだ本作
第1話から、母の大手術に直面した本作。2話の母娘のレストランの場面には「死にたいなら、死んでもええ。私も一緒に死ぬ」との強いセリフが登場した。七実のアップではなく、ふたりを真横から捉え、それぞれに感情移入させつつ、直後に続く、七実の「ママが生きたいって思えるようにしたいねん」との気持ちを打ち出し、母の泣き笑いにつなげていった素晴らしい場面だった。この、真横から人物を捉えるショットは、岸本家を映す際に幾度も登場。家族が席についたリビングのテーブルを横から見つめる。それは耕助の目線でもあるだろうし、私たちの視線でもあった。 作家・岸田奈美さんの自伝的エッセイをベースに、『勝手にふるえてろ』『私をくいとめて』の大九明子監督が料理した本作は、“原作エッセイの実写化”に留まらなかったように思う。原作者のこれまでの人生を制作陣が丸ごと包み込んだうえで、フィクションの岸本家として生み落とし、ひとりひとりとじっくり向き合っていく。 メンバーには耕助も含まれた。いや、含まれるどころか、耕助が中心にいた。草太や、七実、ひとみが見る幻影としてだけでなく、家族をいまも見守り続ける耕助自身として。ずっと無理をしていた耕助。本作は、すでにいないはずの耕助のことも「よう頑張った」と頭をなでた。そのことは、ひいては残された家族の抱える思いもやさしく包んだだろう。 本作は、過去と現在を交錯させるスタイルで、父・耕助が急死した2010年から2025年までの「岸本家の日記」を、丁寧に見つめた。そして岸本家だけでなく、大丈夫な人、大丈夫やない人、大丈夫で大丈夫やない人、みんなを、「行けー!」とハイパー温かく、力強く、押したのだ。(文:望月ふみ)