磯村勇斗が語る、これからの俳優に必要な姿勢とは 映画『若き見知らぬ者たち』インタビュー
今世の中で大切なのは「声を上げる」こと
──そのプロセスを経て撮影に。クランクインはどのシーンからでしたか。 坂道のシーンです。あの坂がめちゃくちゃきつくて、体重を落とした分、筋肉も落ちていたので、自転車で坂道を上るだけでも結構ハードでした。 ──あの坂道は、彩人の人生を端的にビジュアライズしたものでもあります。 そうなんです。だから、あのシーンが初日で良かったなと思って。あとは確か銃を向けるところも初日だった記憶があります。 ──この映画において、引き金を引くというのは一つの象徴的な行為に見えました。 たぶんあそこで彩人は1回死んだんだろうなと。今言っている死とは、物理的な死ではなくて、精神的な死という意味ですけど。それくらい彩人はずっと死と近いところで生きてきた。もちろんそこには父親の自殺も関係していると思います。そういう死の匂いを彩人はずっと感じながら生きてきたんだろうなって。 ──今この瞬間で引き金を引いたらどうなるんだろうという、ある種の破壊願望のようなものは誰しもに内在しているものだと感じました。 ああいう衝動みたいなものはありますよね。でもどうだろう。すごいポジティブな人が急に引き金を引きたくなるのかと言ったらわからないですけど。 でも、もしかたらポジティブな人の中にもそういうものがあるのかもしれないですよね。引き金を引こうとする人は、やっぱり何かしらのストレスを抱えているんだと思う。彩人はそれくらいずっと追い込まれていたんだと思います。 ──その銃口を自分自身に向ける人もいれば、他者に向ける人もいる。この世にはこうした理不尽な暴力がたくさんあります。私たちはどうそれに対抗していけばいいのでしょうか。 最終的には、自分の身を守るので精一杯なのかもしれません。でも、僕はそれだけでは終わらせたくなくて。あらゆる暴力に対し、暴力で対抗するのではなく、ちゃんと口に出して抗議したい。「声を上げる」ということは今この世の中でとても大切なことだと思っているんですね。 SNSを使って発信したり、いろんな方法があるし、実際そうやってらっしゃる方もたくさんいますが、まだまだ自分の肉声を届けられる人なんてほとんどいないのが現実です。だからこそ、埋もれがちな生の声をいかに届けていくかが、エンターテインメントに携わる僕たちの課題だと考えています。 ──作品をご覧になった方の中には、彩人はなぜ福祉の手を借りないのかという疑問を持つ人もいるかもしれません。 もちろんあそこで声を上げられたら結末は変わっていたと思います。でも、彩人のように声に出せない人がたくさんいるんだろうなということに僕は心を寄せたいし、そうした現実をもっと重く捉えていかなきゃいけないんじゃないかという気がします。 ──彩人を演じていて、SOSを出せない気持ちはわかりましたか。 わかりましたよ。そんな体力も気力もない。仕事から疲れて帰ってきたら家はとんでもないことになっているし、母親は勝手に街歩いて人様に迷惑をかけているし。母の面倒を見なきゃいけないし、生活のためのお金も稼がなきゃいけない。これだけたくさんのしがらみの中で生きていくと、声を上げるという選択肢自体が出てこない。声なんて出せないです。息するだけでやっとみたいな感覚は撮影している間ずっとありましたね。 ──そう考えると、苦境にいる人に声を上げればいいのにと言うこともまた無理解の暴力に感じられます。当事者が声を上げられないのだとしたら、周りにいる人はどうしたらいいのだと思いますか。 難しいところですよね。きっと私が代わりにやってあげるよと言っても、そういう人たちは簡単に受け入れないんじゃないかという気がして。結局困っている人がどんどん孤立していく。正直、僕にその答えはまだわからないです。でも、この映画が手助けになったらいいなと思う。 声を上げられないくらい困っている人たちが映画館に行くほどの余裕があるかどうかはわかりません。でも、この作品を観て、自分は声を上げられない状態なんだと気づくことで、ただ息をするだけじゃなく、発声するきっかけになったらいいなって。そして周りにいる人たちには、自分の気づかない世界で映画のようなことが起きているんじゃないだろうかと、だとしたら自分たちに何ができるんだろうと話し合うきっかけになったら、いちばんうれしいです。 ──おっしゃる通り、本当に困っている人は映画を観る余裕なんてないのかもしれません。劇中にも映画は無力なのかという問いがありましたが、それでも磯村さんは映画に力があると信じたいですか。 信じたいです。絶対あると僕は思っています。どれだけの影響力があるかわからないですけど。だから僕たちは映画をつくるし、これからもつくっていかなきゃいけないと思っています。