顔面死球で「仕返ししたろ」 謝罪なき巨人エース…15年後に“再燃” 吹っ飛ばした眼鏡
1993年の乱闘で遺恨再燃…「堀内に『この野郎って』」
その気持ちが再び爆発したのは、15年後。1993年9月19日の巨人-ヤクルト戦(東京ドーム)だった。伊勢氏は野村克也監督の下でヤクルト打撃コーチ、堀内は長嶋茂雄監督の下で巨人投手コーチと立場が変わっていた中で、それは起きた。0-8とヤクルトが大量リードを許していた8回、巨人・橋本清投手が代打・金森栄治外野手の背後に投じたシーンだ。 前日(9月18日)の同カードでマウンドに行った掘内コーチを金森が野次ったのもあってのこととも言われているが、このとんでもないボールに金森は怒りをあらわ。マウンドに歩みよると、両軍が飛び出しての大乱闘となった。この時に“伊勢vs堀内”が勃発した。「金森がピッチャーに向かって行こうとしたら、堀内もバーって出てきたんです。それでもめている時に、堀内が金森のヘルメットを取り上げてパコーンとどつきよったんですよ」。 それを見て伊勢コーチの怒りも頂点に達したという。「私は真ん中くらいまで行って、堀内に『この野郎』って。それで堀内のメガネが飛んで……。現役の時のデッドボールで謝りもしないから、絶対仕返ししたろうと思っていた。その時は思い切りどついたったです」。堀内コーチは伊勢コーチからだけではなく、ヤクルト勢のターゲットにもなったようで、ひとりだけユニホームがビリビリに引き裂かれていた。 もちろん、暴力行為は褒められたものではないが、当時はこのような激しいシーンが、ヤクルトと巨人に限らず、いろんなカードで起きていた時代ではある。乱闘直後にグラウンドに落ちていた堀内コーチのメガネをルーキーの巨人・松井秀喜外野手が拾ったことでも知られる一件でもあるが、それにしても1978年の死球と1993年の危険球がつながることになるとは……。伊勢氏にとって、これも忘れられない熱い思い出だ。
山口真司 / Shinji Yamaguchi