ジョージ・クルーニーとブラッド・ピットが語る、30年間スターであり続けた理由と残された時間でやりたいこと
過去30年間、華やかなりしハリウッドをともに歩んできたジョージ・クルーニーとブラッド・ピット。新作『ウルフズ』で再び共演を果たした2大スターが、60歳という節目で迎えた新たな境地から名声の代償まで、ざっくばらんに語る。 【写真12枚】ジョージ・クルーニー×ブラッド・ピット!『GQ』によるふたりの撮り下ろし写真をチェック 最初に聞こえてきたのは笑い声だった。「ヘッヘッヘッヘ」という、のんびりとした笑い声。まるで時間などいくらでもあるかのような、悠長な声だ。南仏のワイナリー「シャトー・ミラヴァル」に連なる建物には、築200年近いものもある。コーヒーを片手に、今まさにそのひとつから出てきたブラッド・ピットの笑い声は、石造りの壁を伝い、オリーブの木が生い茂る段々畑に響き渡った。彼の声は石の鉢に植わったラベンダーやローズマリーを揺らし、ピンクの花にとまった蝶を、かつてマティスが描いたのと同じ柔らかな青色をしたプロヴァンスの空へと舞い上がらせた。 ピットの声が湖、葡萄畑、古いチャペルまでこだましたかというとき、ジョージ・クルーニーがハンドルを握るメルセデスの黒いオープンカーが、幌を下ろして到着した。黒いサングラス、黒のポロシャツ、ローファーという出で立ちの彼は、ピットを見るなり叫んだ。「兄弟!」。そしてまた笑い声が聞こえた。「ヘッヘッヘッヘ」 ピットとクルーニーにとって、このような環境は慣れたものだ。美に囲まれ、荘厳な孤独に身を置くのは。彼らが四半世紀近くにわたって友人であり続けているのは、ふたりの間のある共通点によるところがある。若い俳優の誰もが夢見る道、つまり富と注目、成功に酔いしれる道が行き着く先に何があるのか、ふたりはよく理解しているのだ。そして、行き着く場所はここである。普通の人間には共感はおろか、説明するのもやっとの場所だ(私もどうにか努力はしている)。笑う以外に何ができるだろうか? ■南仏の別荘でのひととき この前日、ピットはイギリスのシルバーストン・サーキットで撮影を行っていた。F1ドライバーを描いた、その名も『F1』(原題)と題された大作映画だ。彼はF1サイズにカスタムされたF2マシンに乗り、時速250kmで一直線に走っていた。「撮影にかなりの時間を費やしています」と、ピットは言う。「新しい経験や興奮を見つけるのが年々難しくなってきていますが、この映画は違います」。クルーニーは、アダム・サンドラーやローラ・ダーンと共演するノア・バームバック監督作(タイトル未定)を撮影中のイタリアからやってきた。本作でクルーニーは映画スターを演じる。「柄じゃありませんが」と言い、クルーニーは笑った。 ふたりとも一両日中には仕事に戻る予定だ。しかしそれまでの間、彼らはピットの別荘でもあるここ「ミラヴァル」にいる。ピットが当時の妻アンジェリーナ・ジョリーと共同でこのワイナリーを購入したのは、2011年のことだ(21年、ジョリーが所有権のうち自身の持ち分を売却したことは現在、苛烈で大規模な訴訟に発展している)。クルーニーと彼の家族も、3年前に購入した近くの土地に家を持っている。「文字通り、自宅から車で来ただけです」と、クルーニーは言う。「もう2年も住んでいて、ここに来たのは初めて。たったの9分なのに」 クルーニー家はいつ、どのようにして土地を購入したのか。「コロナ禍のとき」と明らかにしたのはピットだった。「オンラインでね」 「そう、オンラインで」と、クルーニーも認めた。 このようなやりとりが、ふたりの間にしょっちゅう飛び交う。リッチな男同士のからかい合いである。ポルトガルの石工のことや、オリーブの段々畑を維持する職人についてが彼らの話題だ。目の前の湖について、クルーニーが自然のものかと尋ねると、ピットはワイナリーからの流出水だと答えた。それも、数年前に広くしたという。クルーニーは「湖を拡張しただと。そんなことをするやつがあるか?」と、呆れたようにつぶやいた。 彼らが経験してきたようなことを自分も経験したという人は多くない。名声と富。決まった拠点を持たず、何十年も人目にさらされてきた生活。仕事は言うまでもない。『オーシャンズ11』以降、彼らは2本の続編、またコーエン兄弟の『バーン・アフター・リーディング』でも共演した。昨年撮影された『ウルフズ』でも一緒に仕事をしたばかりだ。ジョン・ワッツが脚本・監督を手がけ、アップルスタジオ、クルーニー、ピットが製作を務めるこの映画で、ふたりは同じ仕事を請け負うライバル同士のフィクサーを演じる。本作はコメディであり、アクションであり、実生活で茶々を入れ合うふたりが映画の中でそれをやるための口実でもある。 『ウルフズ』はまた、有能だが寄る年波を感じつつある男たちを描いた、あからさまに自己言及的な作品でもある。現在63歳のクルーニー、60歳のピットは、いろいろな意味で絶滅危惧種と言える。クルーニーは言う。「自分が20歳の頃を振り返れば、誰かが63歳で死んだと聞いたらこう思いましたよ──天寿を全うしたんだとね」 「ヘッヘッヘッヘ」 それにしても、彼らもいい人生を送っている。ピットは、彼がサマーキッチンと呼ぶ場所に行こうと私たちをチャペルの下に案内してくれた。屋外キッチンを備えたテラスに、2、3のダイニングテーブルが葡萄畑と湖を見下ろすように置かれていた。 クルーニーと最後に話したのはコロナ禍の最中だった。髪が伸びてボサボサになった彼が、息子を膝に抱いてリビングルームからZoomで話しかけてきたのを憶えている。ピットと最後に話したのは、ラ・カニャーダにある小さなプールハウスで。ピットの家でも、私の家でもなかった。今、目の前に広がる景色を見ながら、この3つの体験のうちどれが一番シュールだったかをずっと考えている。しかし、シュールというのは、彼らとの付き合いではお決まりだ。 ■仕事を続けながら人生にも集中したい ──ジョージ、あなたはノア・バームバック監督の映画の撮影現場からここに来ましたね。過去10年間、あなたはあまり映画に、特に自身の監督作以外には出演しないようにしてきました。『ウルフズ』とノア・バームバックの作品で、またほかの監督の映画に出演するようになったのはなぜですか。 ジョージ・クルーニー(以下、クルーニー) 主な理由は、監督をするとなると1年間は現場を離れられないこと。子どもたちもある程度の年齢になりましたからね。子どもたちを学校から離して連れ回すようなことはしたくありません。子どもたちも一緒に来て、皆で行けたときもありました。でも、今は違います。それで今は、演技などほかのことに集中しようと思っているのです。 ──ブラッド、以前話したとき、あなたも似たようなことを言っていました。「仕事を減らしている」と。映画の出演は年に1本くらいでしたよね。 ブラッド・ピット(以下、ピット) 今は1年半で1本かな(笑)。いや、まだ同じ軌道を辿っていますよ。気持ちは変わってなくてね。ただ、自分の周りにいる大好きな人たちと、人生を楽しんでいるだけです(と言い、葡萄畑を指差す)。安っぽく聞こえないようにするにはどうしたらいいかわかりませんが、空気が新鮮で、草が青々としている。そんなことが少しは好きな男になったんですよ。 クルーニー それに、面白い変化も起きますしね。──60になったんだっけ? ピット そうだ。 クルーニー (笑)。笑っちゃうな。私が60歳になったとき、妻と素敵な夕食を共にしました。私は彼女に「もう60歳だ」と言い──今や63歳ですが──こう言ったんです。「私はまだ子どもたちとバスケットボールができる。まだ外出できるし、いろんなことができる。肉体的には、まだかなりいい状態だ。グラノーラバーを何本食べようが関係ない。20年後、私は80歳。まったく違う数字だ」。骨はもろくなるし、筋肉量も減る年齢です。何もかも変わってしまう。だから、これからの20年は仕事だけに集中するのではなく、仕事を続けながら人生にも集中しなければなりません。 ピット 人生の儚さというものや(訳知り顔でクルーニーが笑う)、私たち誰もがそれに向き合わなければならないのだということが理解できるようになるんです。そんなことをより意識するようになるんですよ。 ──『ウルフズ』ではおふたりとも、超有能だが加齢による衰えを感じている男を演じています。芸術と現実は違うということは承知していますが、キャラクターに自身を重ねたりはしましたか。 クルーニー そりゃ、我々もバカではないですから。ただ、自分ではまだタンクに燃料が残っているとも感じていますがね。 ──あなたは以前、「俳優、例えばケーリー・グラントのキャリアを見ると、人が思っているよりも短いということがわかる」と私に言いました。 ピット そうなの? クルーニー そうだよ。20年くらいでしょうか。短いものです。でも、ケーリー・グラントは面白い人物でした。彼は自分が出演している映画を観て、誰が相手役かは忘れてしまいましたが、こう言ったそうです。「あの娘とキスするには、自分は年を取り過ぎた」とね。そして引退した。その後の20年間、彼はただのケーリー・グラントとして余生を生きました。クラーク・ゲーブルとか、誰もが思い浮かべるような俳優の多くは、思ったほど長くは続けていません。せいぜい25年です。しかし、私たちはもう40年にもなるところで、恐ろしくなります。(編注:グラントもゲーブルも、実際のキャリアは20年や25年よりもう少し長かった。しかし、話の要点に変わりはない。) ──自分がまだ現役ということに驚いていますか。 クルーニー ええ! 25年ほど前、(マット・)デイモンとこの話をしたのを憶えています。彼が初めて映画でヒットを飛ばし、オスカーを受賞したときです。「あのレベルを10年キープしてキャリアを積めば、間違いなく大成功だ」とね。誰もそれ以上長くは続かない。だから、まだ仕事があることには驚いていますよ。 ──ブラッドはインタビューでよく「自分はもう終わりだ」と言っていますね。 ピット そのときどきの自分がという意味ですよ。例えば(故郷の)のどかなオザークから出て行ったとき。新しいことを始めたときは、発見の連続です。本当にエキサイティングで、興味深く、苦しく、つらい。そしてメジャーな存在として認知されたときには、また別の責任を負い、期待に応えなければならなくなる。しかしそれは同時に、尊敬する人たちと仕事をする機会や喜びも意味しました。そして今。最後の数年間はどうなるのだろう? 自分の両親を見ていると、ジョージがさっき話していたことがよくわかるんです。80代になると、身体はより弱くなる。一方で、フランク・ゲーリーのような人もいる。彼はとても素敵な人で、95歳になっても素晴らしいアートを作り続け、美しい家族に囲まれている。それが、クリエイティブであり続け、自分の人生を愛し続けるための秘訣なのでしょう。 クルーニー 我々も幸運ですよ。引退を余儀なくされるような職業ではないのだから。 ──それには表と裏の面がありますよね。俳優について、よくある言い回しがあります。「突然、電話が鳴らなくなった」 クルーニー なるほど、でもそれには2通り考えられますよね? 35歳で演じていたようなキャラクターを演じ続けたいと考えれば、電話は鳴らないでしょう。もっと柔軟に考えるべきで、例えば出番が少なめになっても、面白いキャラクターを演じたいと望むのであれば、話は違うかもしれません。自分はいずれ死ぬという考えと折り合いをつけなければ! 知らない人によく「あれ、思ったより老けてるね」なんて言われることがあります。「63歳だぞ、このマヌケ!」っ感じですよ。でも、それが人生です。変化を受け入れさえできれば、それでいい。ただ難しいのは、諦めきれず、必死になってそれに抗おうとしがちだということです。そういう俳優は、私もあなたもたくさん知っていますが── クルーニーが続けようとしたとき、2人の愛らしい子どもたち、そして白いドレスを着た背の高いエレガントな女性がやってきた。アマル・クルーニーである。 「こっちがアレクサンダー。こっちがエラです」と、クルーニーが7歳になる双子を紹介したとき、ふたりはすでにピットによじ登ろうとしているところだった。 アマルはピットにハグをし、素晴らしい場所だと伝えた。「子どもたちも言っていました。『これがぜんぶひとつの家なの』とね」 「動物は好き?」と、ピットは双子に尋ねた。「あっちに餌をやらなきゃいけない動物がたくさんいるんだ」。ロバ、ウサギ、ミニチュアホース──ピットが「シャトー・ミラヴァル」にいる動物を唱え始めると、子どもたちは歓声を上げた。 やがて、私たちは揃って昼食を摂ることになった。「ゲストはこちら側に」とピットが言うので、クルーニーとアマル、そして私は3人並んで、ブラッド・ピットの方を向いて敷地を眺めることになった。 「インタビューはどうだった?」と、アマルが訊いた。クルーニーは「始まったばかりだよ」と答え、ピットは「8分のインタビューだった」と言った。 「まったくいいタイミングで来てくれた」。クルーニーがそう皮肉ると、アマルは私に「もうたくさんでしょう?」と言って笑った。 芝生では子どもたちが彫刻作品によじ登り始めていたが、無理もないことだ。彫刻は、はしごとテーブルが合わさったような形をしていた。 「バカなことをするんじゃないぞ」と、クルーニーは双子に叫んだ。その声は、子どもの世話に手を焼く世界中の父親と同じだった。「選択を誤らないように!」 ふたりはアマルに、『GQ』の撮影で着用したファッションについて話し始めた。 「君の夫はちょっと冒険していたよ」とピットが言うと、アマルは「何をしたの? 過激な色の服でも着た?」と尋ねた。 「もう年だから、こだわらなくなったんだ」と、クルーニーは答えた。 「年を取るというのはそういうことでもある」と、ピットは言う。「物事をコントロールしようとするのは骨が折れる。流れに身を任せるほうが楽なんだ」 ──禅の境地ですね。素敵なことですが、本当にそんなことができますか。 ピット ええ、ずっと楽ですからね。そういう風に物事を考え過ぎないようにしています。正しいと感じたら、ただそのバロメーターを信じてやってみるようになったんです。 ──ずっとそうだったのですか。 ピット だんだんそうなってきました。若いうちはそれを怖がったり、自分が守るべきものがあると思ったりするものです。そして気づく。なんて疲れるんだとね。 クルーニー それに自分を笑うのも平気になります。若い頃は、常に何かを守ろうとしています。出る映画を選べるようになったとき、オファーされるものは全て受けました。自分がその作品に対して責任を負うということを理解していなかったためです。だから『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』のオファーを受けたときも「俺はバットマンになるんだ!」なんて友達に電話したものです。よく考えずにね。そして、あまりうまくいかなかった映画を3本繰り返してこう思いました。「ああ、自分は責任を取らされるんだ。もし選ぶことが許されるなら、良い脚本、良い監督に立ち返らなきゃ」とね。そのためには、お金のことは忘れなければならない。というのも、有名になりたての頃は、誰かから大金をオファーされると「すごい、今まで一度もこんな大金オファーされたことないのに。何もオファーされたことがないのに」なんて思いますからね。 ──ブラッドも同じ気持ちですか。 ピット 彼が言っているのは、自分がどれだけのものを背負っているかという実感の話です。そしてこう思う。「そうか。わかった。それでも俺は選ぶよ」。自分の責任を自覚したときは、自分から電話をかけ始めるんです。例えば、重要だと思うシーンをカットされた嫌な経験が以前にあったから、『セブン』に出演したときは契約書にこう書きました。「妻の生首は箱から出ない」 クルーニー スタジオ重役は出そうとしたんだろ? ピット その通り。それと「主人公はジョン・ドウを殺す」とも。そのふたつを契約に含めました。それで案の定、そのシーンになると彼らが言いました。「殺さないほうが英雄的じゃないか」とね。「そうでしょうとも。でも彼は英雄じゃない」と返すと、「妻の首なんてやり過ぎだ。犬の頭ならどうだろう? 犬の頭にしよう」と言い出すんです。お断りだね。 ■昔ながらのハリウッドスター ──『ウルフズ』は売りが基本的にあなたたちふたりという点で、時代錯誤的にすら感じられます。IPコンテンツ原作でも、何かの続編でもなく、ポスターにいるのはふたりの映画スターだけ。そんな映画はもうあまり見かけません。なぜだと思いますか。 クルーニー かつてのスタジオシステムのようにスターを育てなくなりましたからね。我々はその最後の世代と言えます。スタジオで働きながら3、4本の映画に出演することができ、それなりの計画性もありました。今は必ずしもそうではありません。だから、スターの後ろ盾で作品を売り込むのは難しくなっています。一方で、若い俳優にとっては素晴らしい時代です。私が若手だった頃、毎週月曜の朝に『ロサンゼルス・タイムズ』の裏を見ると、64の番組が掲載されていました。64のうち、自分の番組を放送し続けるためには上位20位に入らなければなりません。しかし、それだけです。それと、スタジオが製作していた映画は年に5本。今は600の番組がある。だから俳優の仕事も増えたのです。 ──この夏、ハリウッドの歴史あるスタジオで、今やNetflixやアップルに比べれば比較的小規模となってしまったパラマウントが売りに出されました。このようなとき、おふたりの助言が求められるようなことはあるのでしょうか。ハリウッドを代表するおふたりの意見は重みがありますから。 ピット 私はありません。──よく協力を求められるのは君だよね。 クルーニー いろいろなことに関わっていますが、スタジオの売却には関わっていません。 ──売却の結果について関心はありますか。スタジオが1つなくなる可能性があるとしたら、感慨深いものがあります。 クルーニー そりゃ、パラマウントは偉大な最古のスタジオのひとつですからね。しかし、口出しできないこともあるのです。ビジネスというのは、全て食い尽くされてしまうものですから。世界中のウォルマートやアマゾンに全て食われているようなもの。パラマウントは我々にとって、小さな町の商店のようなものなのです。 ──『ウルフズ』で気に入ったのはアクションはもちろんのこと、おふたりが言葉の応酬を繰り広げるシーンが多かったことです。『オーシャンズ11』で鍛えた“筋肉”を使っているのでしょうか。 ピット しばらく使ってなかった筋肉です。30年ぶりですからね。(編注:厳密には、ピットとクルーニーが『オーシャンズ11』を撮影してからは23年である。) クルーニー しかし、台詞を重ねるにも技術が必要です。下手にやると、言い返すつもりの相手の台詞や単語が聞こえる前に重ねてしまう。ブラッドとの仕事が楽しいのは、あなたの言う通り、もう何年もお互いにからかい合いみたいなことをやってきたからでしょう。 ピット テイクの合間にね。 ──以前、おふたりと演技について話すことができたのですが、それぞれの方法論はまったく違っていました。ブラッドは「演技は音楽のようなもの。リズムを感じるんだ」と話し、ジョージはスペンサー・トレイシーのような俳優を尊敬している、つまり「現場に出て、印のある位置に立って見下ろす。それがシーンの始まりだから」と話しました。おふたりがアーティストとして感じる共通点はありますか。 クルーニー 『オーシャンズ』の頃、(監督のスティーヴン・)ソダーバーグがこのことについてよく話していました。皆が積極的に共演者にシーンを譲っていたとね。それはある種の寛大さであると同時に、全てを独り占めにする必要はないという自信の表れでもありました。そうすると、面白いことに── ピット 全員が勝者になる。皆が勝てば、映画も勝つ。相手が勝てば自分も勝つ。実話かどうかはわかりませんが、『明日に向って撃て!』の企画段階で、スタジオは(ロバート・)レッドフォードではなく別の俳優を雇おうとしていたという話を聞いたことがあります。 クルーニー (スティーブ・)マックイーンか誰か。 ピット 最終的にレッドフォードが役を獲得したわけですが、ある時点で彼が本当にスクリーンから飛び出すような存在感の持ち主だと明らかになりました。彼は足跡を残していたのです。映画は(監督の)ジョージ・ロイ・ヒルと(主演のポール・)ニューマンの共同プロダクションだったので、ニューマンはこう言われました。「クローズアップは控えたほうがいいかもしれない。あいつは本当にうまい」。それに対してニューマンは「いやいや、どうなるか見てみよう」と言ったそうです。あのふたりがこれほど長く人々の心に残っているのは、そのような寛大さのおかげもあったのだと思います。 クルーニー グレゴリー・ペックとオードリー・ヘプバーンのことも思い出しますね。彼女の映画初主演作は『ローマの休日』。もともとは「グレゴリー・ペック主演『ローマの休日』」でした。最初のラフカットを観て、ペックはスタジオに電話をして言いました。「彼女はこの映画でオスカーを獲るぞ。タイトルの上にあるのが私の名前だけで、彼女が新人クレジットだったら、我々はとんだマヌケだ」。そうしてクレジットが変更された。誰かに食われたり、お株を奪われたりするかもなどと気にしない能力と自信が彼にはあったのです。 ──おふたりのどちらがレッドフォードで、どちらがニューマンでしょうか。 ピット いや、我々はジョージとブラッドですよ。 クルーニー あのふたりとは比べられたくありません。彼らはアイコンですから。 ■“群れ”からはぐれないために ──ちょっと失礼な質問があります。おふたりは本当に友達ですか。 クルーニー とてもいい質問です。彼に対しては接近禁止命令を申し立てたので…… ピット 彼に一度危害を加えたせいでね。あれはすべきじゃなかったな。我々が今、離れて座っているのもそのためです。 クルーニー なんてね。もちろん、友人同士ですよ。長い付き合いになります。それに、たまにお互いのことを確認し合うのは楽しく、重要なこと。人生では物事が複雑になるし、いつも皆が無事にしているか確認しなければなりません。 ピット ジョージはおそらく最高の理解者です。チェス盤の上の動きを見抜いてね。物事がうまくいかなくなったとき、何度もジョージに電話していますよ。 ──やりとりの方法は何ですか。SMSでしょうか? クルーニー ジュールス(ジュリア・ロバーツの愛称)と『チケット・トゥ・パラダイス』を撮影中に、ヘリの中からブラッドにメッセージを送ったことがありました。 ピット 受け取ったのは、ロケで訪れた先々でふざけた顔をしたふたりの写真。要らないのに。そうそう、私は仕事で素晴らしい経験もしてきましたが、本当に重いプレッシャーもありました。私は以前、名声とはひとつに「狩りに遭うこと」を意味すると言いました。 ──ガゼルの喩えですね。 ピット そう、群れから切り離されたガゼル。ほかの誰も理解できないようなこと、私たちが話す必要のないようなことを、ジョージは理解しようとしてくれて、安心感を与えてくれます。人生におけるプレッシャーや葛藤を通じて、またひとつの小さな家族が出来上がるのです。この(新作の)話が持ち上がったときに思いました。自分は90年代からこの男を知っていて、人生で本当に多くを経験し、多くの紆余曲折を経てきた。そんな今、彼と肩を並べて何かできたら本当に素敵なことだと思ったんです。 ──あなたが名声について好んで使うガゼルのメタファーというのは、群れから分断された途端に狩られるという話だと思っていましたが。 ピット ネイチャードキュメンタリーを観るとわかります。1頭のガゼルが群れから切り離される。するとライオンやチーターが追いかけてくる。もし逃げられたとしても、彼らにはトラウマや震えが残るんです。 ──とても孤独な喩えだと思っていました。 ピット 孤独なだけじゃない。恐怖もです。草原で自分の足で立てるようになるまでは怖いもの。でも、だからこそ本当に安心できる。私には彼がついていて、彼には私がついています。 クルーニー どこかに辿り着くにはどうすればいいかも、私はわかっています。それはハードワークであり、ある程度のスキルも必要です。それに、ある程度の運もね。本当ですよ。でも今の我々は運を作り出すことができます。(プロゴルファーの)ジャック・ニクラスがロングパットを決めたとき(編注:ゲーリー・プレーヤーやアーノルド・パーマーという説もある)、「運が良かったな」と言われ、こう返した。「おかしなもので、練習すればするほど運が良くなるんだ」。運は作り出すことができるんですよ。しかし、それでも運は必要なもの。そして、それを乗り越えた後の力の維持には、勤勉さが必要となります。オリンピック選手のようなもので、これは控えめに言っているのではありません。それでも生き残る人たちというのはね。どれだけ多くの人が、キャリアの中で1回バカなことをやったために、長いこと自分の首を絞めてしまうか── ピット その一方で私のように、4つも5つもバカなことをやって、そのまま続けられる人間もいる。 クルーニー (笑)。いや、でも不屈の精神は必要です。彼を見ると、下らないシットコムに出ていた、ダサい髪型のガキまで思い出してしまいますよ。我々ふたりともそうでした。 ピット 史上最高のマレットだった。 クルーニー 私のマレットか、それとも君のマレット? ピット 自分のかな。 クルーニー ああ、私も自分のと言いたいところだ。でも、それは本当に良い共通体験のひとつなんです。ここに至るまでのね。 ──ジョージ、『オーシャンズ』の頃、あなたはよく「名声という点ではブラッドのほうがひどい」と言っていましたね。 クルーニー 彼とはよく、海に撒かれた生き餌のようになっていました。アムステルダムで彼のホテルの部屋に出かけたら、あたりに500人くらいが夜通し集まっていてね。彼の部屋から彼ではなく私がドアを開けて、「やあ、みんな!」って挨拶して、また戻ったりしたものです。一晩中、彼にとっては悩みの種でした。──空港でのことを憶えてる? ピット うん。 クルーニー 私が出てきた瞬間、皆「ジョージ・クルーニーだ!」と叫んでいたのに、私が「ブラッド・ピットだよ」と指すと「わあ!」って彼のほうへと走って行くんです。 ピット 一度、(共演者たちに)こう言ったのを憶えています。「みんな、ここは俺が引き受けたから、君らは先へ行け」ってね。それで、俺ひとりで出て行って、こんなことになっている隙に(ピットがパニックの真似をする)、君らはすり抜けることができたんだ。 クルーニー 多くの人は、かなりの有名人になったとしても、普通の生活を送り、尾行されることなくニューヨークの街を歩いたりする方法を見つけられます。我々のうち5、6人は、それが一向にできません。セントラルパークを平穏無事に散歩できるなどということは、まだ一度もないのです。いずれはそうなるに決まっていますが、まだなっていません。私には守りたい目標があります。子どもたちの写真を撮らせない、というね。私たちは非常に深刻な悪者を相手に、非常に深刻な問題を扱っています。だから、プライベートを守るために努力しなければならないのですが、これが難しいのです。普通なら病院に行くようなことでも、行くのを避けることだってあります。なぜなら── ピット 新聞の見出しになるから。「ジョージ・クルーニー、刺される」 ──荒々しいことを言いますね! ピット 本当ですよ。 クルーニー まったくの事実です。病院に行くのは、どのくらいひどいか見極めてから。 ピット 複雑骨折なら自分で押し戻せばいい。 ──初めて会ったとき、お互いの第一印象はどうでしたか。 ピット ジョージにはっとさせられた最初は、彼がダイアナ妃が衝突事故で亡くなったことについて語ったときです。あれこそ「狩り」でした。言葉にもならない。正気の沙汰じゃありませんでした。車が9台も追いかけてくるんですよ。あなたを待ち構えてね。 クルーニー 我々がパリにいたときも同じようなチェイスに遭いました。 ピット あれはひどかった。信号で止まったとき、大勢がカメラを構えてパシャパシャパシャパシャ。何も見えないし、車に挟まれて動けもしない。最悪の気分ですよ。藪の中に誰かが隠れて待っていると思うと、本当に背筋がぞっとします。ともかく、ダイアナ妃のことがあった後、ジョージは立ち上がり、それについてコメントしたんです。そのときに思いましたね。「この男は、ほかの我々にはない何かを持っている」と。あの瞬間、リーダーの資質を感じました。 クルーニー 面白いのは、私が『テルマ&ルイーズ』のオーディションで最後まで残っていたこと。その役を彼が獲得したわけです。いい映画になるとは思っていましたが、あそこまでとは思いませんでした。そして彼のキャリアはこう(クルーニーは手振りで急上昇を示す)なのに、自分は未だに下らないテレビ番組に出ている。『テルマ&ルイーズ』はその後2、3年は観る気になりませんでした。 ピット 我々はお互い負けず嫌いでもあるということを忘れないように。(マット・)デイモンも含めて、全員ね。 クルーニー 君の仕事を全部奪ってやりたい。でも、もし私が手に入れられなかったら、君にやってほしいよ。 ■競争が前進を促す ──90年代には同じ役を争っていたのですか。今はどうでしょう? ピット そういうわけでもないんです。当時ですらね。 クルーニー 面白いことに、長い間一緒に仕事をしていると、近くにいなくても彼が何をしているのか、何が進行しているのかがある程度わかるようになるんです。そういう関係には、大きな安心感と信頼があります。そうそう、特に『ウルフズ』には一方が相手の引き立て役となるシーンがたくさんありますよ。もう競争は終わりです。 ──「もう」とは? ピット 私たちには競争心があるというだけの話です。アスリートが持つような競争心がね。周りにいるほとんどの俳優もそうです。自分の仕事に誇りを持ち、本当にうまくいくことを望んでいる。でも同時に、もし自分の人生にジョージ・クルーニーがいなかったら、どれだけのレベルに達していたかわかりません。競争心は前進を促しますからね。 クルーニー こう考えてみてください。我々はふたりとも製作会社を持っていて、(アカデミー賞)作品賞を受賞した映画を製作したことがあります。もし私がプロデュースする映画が彼と対決することになったら、彼を負かすために全力を尽くすでしょう。でも、彼がクエンティン(・タランティーノ)と作った映画でオスカーを受賞したとき、「君が俳優としてオスカーを獲ることができる世界に生きていられてうれしい」と彼に書いて送りました。というのも、ブラッドくらいになると、商業的な大作で大金を稼いで楽な生活を送るという、実に安易なルートもありますからね。しかし彼の俳優としての選択はいつも──例えば『セブン』。『セブン』は無難な作品ではありません。『セブン』の企画を見て、脚本を読んだら、商業映画だと思うでしょうか。私はそうは思いません。彼が自分の信念を貫いたからこそ、この映画は商業的な映画になったのです。 ピット いや、(監督のデヴィッド・)フィンチャーのおかげだよ。でも、それも一部かな。一緒に仕事をする人たちとの関係もね。 ──まさにそれが競争について尋ねた理由です。私が眺めているだけでも、デヴィッド・フィンチャーといえばブラッドの仲間。その一方でコーエン兄弟がいて、彼らはジョージ、あなたをもっと起用しています。タランティーノならブラッド。 ピット (クルーニーを指差して)ソダーバーグも。 ──その通りです。いずれも、おふたりの世代の偉大な監督たちであり、そのなかにはジョージ、あなたを好む人もいれば、ブラッド、あなたを好む人もいます。しかし、競争という観点から言えば、例えば私がジョージだったらこう思うでしょう。「クエンティン、私を起用しないのか」と。 クルーニー クエンティンとは映画を撮っていますよ。彼は私の弟を演じています。 ──『フロム・ダスク・ティル・ドーン』ですね。 ピット ああ、そういえば。彼の演技も結構良かったな。 クルーニー “まあまあ”だろ。 ピット あのシーン、と言ってもうろ覚えだけど。でも本当に良かったよ。 クルーニー 最近、クエンティンが私についてあれこれ言ったんで、あいつには苛立ってるんだよ。インタビューで映画スターの名前を挙げて、君のことやほかの誰かのことも話していたんだけど、「ジョージはどうか」と訊かれて、彼は映画スターじゃないとか言ったんだ。それからこんなことを言いやがった。「2000年以降の出演作を挙げてみろ」ってさ。2000年以降だって? そりゃ私のほぼ全キャリアじゃないか。 ピット ヘッヘッヘッヘ。 クルーニー だから今は、わかったよこの野郎、失せろって感じだ。彼を腐すのには気が咎めない。私を腐したのは彼だから。それはともかく、素晴らしい監督たちと仕事ができて、我々は本当に幸運でした。俳優を活かすのは監督と脚本なんです。本当にひどい映画を何本か作ってそれを学びました。ダメな脚本から良い映画は作れない。それは無理なことです。でも、良い脚本からダメな映画を作ることはできる。台無しにすることは簡単です。 ──ブラッド、前回話したとき、あなたは男であること、父親であることの意味についていろいろ考えていましたね。それに加えて、ロサンゼルスで男性だけのAA(アルコール依存症を克服するための匿名自助グループ)に参加していたこともかなり率直に語っていました。 ピット ええ、本当に良い経験でした。でも、あのことで私はAAに非難されたんですよ。「匿名のはずだ」って。「そりゃそうだけど、自分で公表するのは良くないか?」と思いましたね。 クルーニー 本当に? それで批判を受けたの? ピット ほかの誰かについてばらしたわけじゃないですよ。私のことは誰だって知っているんだから、何が問題なのか? ──ジョージ、前回会ったときに、あなたは『シリアナ』の撮影現場で負った怪我が原因で、常に痛みを抱えているという話をしていました。 クルーニー 今はましになりました。 ピット 『オーシャンズ12』のときだったかな? 大規模なヨーロッパツアーに彼が一緒に来れなかったことがありました。確かに苦しそうでしたね。 クルーニー 予定をキャンセルしたのは滑走路で。 ピット バスまでは一緒でしたけどね。背骨から体液が漏れていて、偏頭痛が止まらなかったのがそのときの彼です。皆で飛行機に乗って、ヨーロッパツアーに向かおうというときでした。我々は皆ジョージに頼っていたということをお忘れなく。彼がリーダーだったのです。しかし彼は、そんな痛みを押して一緒にバスに乗り、私たちに説明し、激励しなければなりませんでした。 クルーニー 「みんな、頑張ってこい!」とね。それから病院に行きました。 ──間違っていたらすみませんが、最後に話したときにジョージは痛みの専門家からこう言われたと話していました。「痛みの閾値をリセットするよう試みなさい。痛みを感じるときは多くの場合、以前どう感じていたかを常に嘆くことになりがちだから」と。 クルーニー 最初は鎮痛剤を一瓶くれただけ。「これは狂気の沙汰だ」と思いました。鎮痛剤を一瓶渡されるだけですよ。私は「こんなやり方じゃダメだ」と思い、疼痛管理の専門医に診てもらったんですが、彼はこう言ったんです。「今感じている感覚が生まれつきのものであったとすれば、痛みとしては認識しない。そう感じるのが普通だと思うはずだ。だから、痛みについての考え方を改めなさい」と。そうしたら、本当に変わったんです。まず第一に、鎮痛剤を飲む必要がなくなりました。でも、それだけでなく、人生のほかの面についても良い変化があったのです。 ──まどろっこしい訊き方になってしまいますが、おふたりは“進化”したと感じていますか。つまり── クルーニー 人間的に? ──どうだと思う? ピット どうだろう、わからないな。もちろん、そう願いたいけど。もしそうでないなら、今すぐ失せたほうがいい。それがルールでしょう? ──そういう人もいるでしょうが、ほかの人は……違うでしょう。 ピット 本当に? そうあるべきだと思います。より平和になりますからね。より安心感を得られますし。世界でより多くの愛を見つけられます。狂った世の中でね。 ■残された時間を何に割くべきか ──今の自分について、できることなら若い頃の自分に伝えたいことはありますか。 ピット 大丈夫、うまくいくから安心しろってことかな。「大丈夫」というフレーズは相対的なものですが。でも大丈夫、うまくいくから。 クルーニー 私の叔母(ローズマリー・クルーニー)は非常に有名な歌手でしたが、やがてそうではなくなりました。そうなったのは、彼女が才能を失ったからではなく、時代が変わったからです。ロックンロールが登場し、ポップミュージックや女性歌手が廃れたからです。だから私は、そういったことがいかに自分自身とは関係のないところで起きるか、学ぶことができました。年を取れば取るほど、作品がヒットしたのは私のおかげではないし、あるいは失敗したのは私の愚かさのせいではないと思えるようになってきます。そこには様々な要因があり、自分ももう少し内省的になれるのです。良いことも悪いことも、自分の手柄や責任ではなくなってくるのです。 ──仕事を通じて、自分自身について今も発見があると思いますか。 クルーニー 皆が私にやらせたがる類いの物語があって、それはだいたい私が自分自身の変化形を演じるというものなんです。その度に「『オー・ブラザー!』や『フィクサー』みたいな映画を両方やっている人はあまりいないのに」と言っていますよ。私がそれだけ幅広い作品に出られている理由のひとつは、私の出演作のうち成功しなかった映画が様々なジャンルであったからだと思います。意味がわかりますか? アクション映画で大成功を収めなければ、もっとアクション映画に出ろとは誰も言いません。同じことはほかのジャンルにも言えます。大成功に恵まれなかったおかげで、ほかのことをやったり、新しいことに挑戦したりできたというのが私の人生なのです。 ──ブラッド、演技を通して今も自己発見しようと試みていること、探求していること、興味を持っていることはありますか。 ピット 何に時間を割り当てるか。私は新しい体験を求めています。今やっているクルマを運転するようなことをね。ダウンフォースを感じたり、カーボンブレーキを体験したり。ただ、「すごい」って感じなんです。自分がこんなことをできる場所がほかにあるでしょうか? クルーニー カーボンブレーキだと! ピット 300℃まで発熱しないと利かないんだよ。止まらないんだ。スピードに乗せると、900℃まで上がったと思います。そこまでの温度まで上がれば、レンガの壁に向かって猛スピードで突っ走っても、45m手前でペダルを踏めば、時速64kmまで落ちて止まることができる。信じられない体験ですよ。私にとってこれは、いわば若い人向きだと思っていましたけどね。今、私たちが力を注いでいることが、まだどれだけ成功するかはわかりませんが、ただ、私は経験を求めているんです。そして一緒に働く仲間。それだけです。一緒に働きたいのは── クルーニー 自分の仕事が好きな人たち。時間の割り当てについて話していたよね。年を取れば取るほど、何に時間を割くかは大きく変わってきます。人生のうち5カ月というのはあまりにも長い。だから、「よし、『スリー・キングス』のような本当に良い映画を作ろう。(監督の)デヴィッド・O・ラッセルのような惨めなクソ野郎に人生を台無しにされたとしても。クルー全員の人生を生き地獄にしても」とはなりません。そんな価値はない。人生の今の段階ではね。良い作品を作るという、それだけのために? ピット それと、同じことを繰り返す価値もない。そんなのつまらないからね。 ──働くためのハードルが高くなったということでしょうか。それとも、これは自分のDNAの中にあるもので、それ以外を知らないということなのでしょうか? ピット いや、私たちはふたりとも映画以外のこともたくさんやっていますよ。とても興味深いですからね。 クルーニー ブロードウェイのために『グッドナイト&グッドラック』の戯曲を書きました。ブロードウェイに出るんですよ。つまり、ニューヨークで6カ月生活することになります。また時間配分の話になりますが、ほかのことはやらないつもりです。子どもたちとの時間を作りたいですから。子どもたちを学校まで送っていくのは楽しいし、妻とも本当に素晴らしい時間を過ごしています。それを失いたくありません。でもこれは、今までやったことのないことをやるチャンスなんです。ブロードウェイには出たことがありませんでした。だから、我々はまだ新しいことを試したり、いろいろなことに挑戦しようとしています。しかし同時に、自分の人生をもう少し素敵な形で送りたいと思っていることも忘れないようにしたい。両方を少しずつ、何事もほどほどに。ほどほどにするのも含めて。 ピット ヘッヘッヘッヘ。 ──ブラッドも同意見ですか。 ピット そうですね……(長い沈黙の後)ええ。 ジョージ・クルーニー 俳優、映画監督、プロデューサー、脚本家 1961年、米ケンタッキー州生まれ。94年にドラマ『ER緊急救命室』でブレイク後、映画の世界でスターの座を確立。2002年の『コンフェッション』では監督デビューを果たした。社会貢献にも精力的に取り組んでいる。 ブラッド・ピット 俳優、プロデューサー 1963年、米オクラホマ州生まれ。91年の『テルマ&ルイーズ』で注目を浴びて以降、主役から脇役まで幅広い作品に出演。2019年の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でアカデミー助演男優賞受賞。 From GQ.COM By Zach Baron Translated and Adapted by Yuzuru Todayama