「軽い気持ちで書き込んだことが…」なくならない誹謗中傷、「表現の自由」として認められないケースとは
連続テレビ小説『虎に翼』(NHK)、日曜劇場『アンチヒーロー』(TBSテレビ)など、法曹の世界に生きる人々を描いたドラマが話題を呼んでいます。法は、自然科学のような不変の法則とは異なり、「解釈」を変えることによって、あるいは「立法」することによって、時代に応じて変化を続けています。 今回の記事では、「表現の自由」とその制約について解説しています。SNS上での誹謗中傷が原因で、自ら命を絶つという事件が後を絶ちません。無責任で安易なつぶやきは、時として「他人の名誉」を深く傷つけてしまいます。それでは、どこまでが「表現の自由」として認められるのでしょうか? *本記事は中央大学法学部教授の遠藤研一郎氏の著書『はじめまして、法学 第2版 身近なのに知らなすぎる「これって法的にどうなの?」』(ウェッジ)の一部を抜粋したものです。
悪口はどこまで許される?
名誉毀損について触れておきましょう。 [憲法21条1項] 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 私たちには、憲法上で、表現の自由が保障されています。これは、人間の精神活動に関する自由で、憲法の基本的人権の中でも、とくに重要な人権の1つとして数えられています。 まず、表現の自由は、表現活動を通じて、人は他人と意見交換をし、自己の人格を発展させることができるという側面(「自己実現」という価値)を有しています。また、国民が表現活動を通じて政治的意思決定に関与するという意味において、民主主義の実現のためにも、表現の自由は不可欠です(「自己統治」という価値)。 しかしこれは、表現活動が絶対的に無制限であることを意味しません。その対極にある利益の1つとして、他人の「名誉」があります。表現活動によって他人の名誉が毀損されれば、民事上の責任(損害賠償)や、刑事上の責任(名誉毀損罪)*1に問われる可能性があります。 そもそも「名誉」とは何でしょう? それは、人が、人格的価値について社会から受ける客観的評価のことです。個人だけではなく、法人も名誉を持ちます。 ドラマ「フェイクニュース」*2では、ある会社の製造するインスタントうどんに青虫が混入していたというつぶやきがネット上で拡散され、大きな事件となります。情報の拡散の速さを持っているこの頃の社会は、私たちにとって有益な情報が瞬時に届く利便性をもたらす半面、無責任で安易なつぶやきが、私たちの名誉を瞬く間に危うくします。 では、どこまでの表現なら許されるのでしょうか? その際、まず区別しなければならないのは、(1)意見や論評と、(2)事実の摘示です。 *1【刑法230条】(1)公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。(2)死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。 【刑法230条の2】(1)前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。(2)前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。(3)前条第1項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。 *2 2018年10月にNHK総合テレビで放映された全2回の社会派エンタメドラマ。ネットメディアを舞台に、悪質なフェイクニュースに翻弄されるネットユーザーと、メディア側の人間模様を描く。