田中大貴の止まらない“比江島愛”「彼がいなかったら今僕はここにいない」
「自分のキャリアにすごく影響している」、比江島との大学ラストバトル
月刊バスケットボール2024年6月号で、比江島慎の特集を組んだ。その中で、比江島ゆかりの6人にその人間性や魅力を語ってもらったのだが、中でも田中大貴のそれは誌面では表現し切れないのほどの愛で満ちていた──。 【写真5点】田中大貴×比江島慎フォトギャラリーをチェック 往々にして、シーズン中の取材というのはチーム練習を終えた夕方あたりに設定されることが多い。練習前の朝10時というのはめずらしいことだ。しかも、田中は練習に向かう車内からzoomでの参加。移動時間を効率的に活用したいという田中の意図に、筆者はまず感心した。 取材が始まってすぐは、田中のテンションはお世辞にも高くはなかった。筆者の印象だが、田中は答えるべきことにはしっかりと答えてくれるが、あまり多くを語るタイプではなく、質問に淡々と答える選手だというものがあった。取材開始時の田中のテンションが、まさに筆者の予想していたものだったのだ。 「比江島選手と初めて会ったのは中学生の頃でした。でも、あまり覚えていなくて…」 田中は比江島との出会いをそう話し始めた。「もう少し詳しく」。そんなニュアンスのツッコミを入れながら少しずつ言葉を引き出す。 「同じ九州出身だったので、試合をしたのか、それとも彼の試合を見たのかは覚えていないのですが、それが初めてだったと思います」 田中の声色が変わっていったのは、やはり大学時代の話をし始めてからだ。田中は長崎西高から東海大に進み、1学年上の比江島は最強・青山学院大の絶対的エースだった。さながら、ラリー・バードとマジック・ジョンソンのライバル関係かのように大学バスケで熱戦を繰り広げた両者は、共に在学中から日本代表に選出されるなど、日本バスケ界の未来を予感させる大活躍をしていた。 そんな2人の大学最後の対戦となったのが、田中が3年生だった頃のインカレ決勝だ。「初めて対戦したときから、比江島選手は自分にないものを持っている選手だという印象があって、彼の方が僕よりも全然バスケットがうまいし、ずっと負けてきましたから」。田中はそう語った。負けず嫌いな田中が、一番負けたくないはずの比江島のことを「僕よりも全然バスケットがうまい」と、ためらうことなく話したのは意外だった。 この決勝戦は田中擁する東海大が完璧な“青学対策”を敷き、71-57で快勝。大学では敵なしだった比江島にとっては、最後の最後でどん底にたたき落とされるような敗戦だ。しかも、田中はこの試合でフィジカルに比江島をマークして13得点に抑え込みながら、自らは27得点。文字どおり大学での最終決戦で比江島という壁を乗り越え、日本一を手にしたのだった。 「彼に勝ちたいという思いをずっと持ちながら過ごした大学生活だったので、当時僕は3年生でしたが、最後の最後だけ勝つことができてすごくうれしかったし、自信にもなりました。振り返ると、あの試合は僕のキャリアにすごく影響している試合だったと思います」 同時に、プロとなって日本代表でも共に戦うようになったことで、改めて比江島の凄さも感じていた。 「当時の日本代表の中では比江島選手だけが“自分”を持っていました。僕は海外のチーム相手に戦えた印象があまりなかったのですが、彼だけはずっと高いレベルでプレーしていました。比江島選手が4年時のインカレは僕らが勝ちましたが、1人の選手として見たときはには全然彼の方が力があると思っています」 やはり、比江島の方が実力が上だと田中は言う。周囲からはライバルと言われてきたが、田中にとって比江島は常に背中を追いかけ続けた存在だった。