慶大・清原正吾(21歳)の指名はある?…スカウトが語った“リアル評”「評価不能」「本気なら推したい」まさかの「アナウンサーか俳優に」の声も
昨年の今ごろだったか、廣瀬隆太内野手(現・ソフトバンク)の取材で、慶應義塾大学の野球部グラウンドにおじゃましたことがある。 【写真】「えっ、何頭身なの…?」筆者も驚いた186cmの“慶應ボーイ”清原正吾のモデル顔負けのスタイルと爽やかフェイス。試合での迫力のフルスイングに、長男とソックリな父・和博さんの若かりし頃も見る 授業優先ということだったが、それでも50人以上の選手たちが練習する広いグラウンドで、ざっと見渡しただけなのに、向こうのほうからポーンと私の目の中に飛び込んできた選手がいた。 昔の言い方で「8頭身」。頭が小さく見えて四肢がのびやかに長い。腰の位置が、ほかの選手と違って見えた。逸材は、探さなくても、向こうのほうからこっちの目に飛び込んでくる。私の中にある絶対経験則の1つである。 「あれが、清原さんです!」 近くの選手に訊いたら、そう答えたから驚いた。 「あれが、東京スカイツリーです!」……同じ表現だ。
際立っていた清原正吾の「オーラ」
その頃の清原正吾選手は、リーグ戦のメンバーには入っていたものの、まだレギュラーではなかった。それでも、すでにして、慶應義塾大学野球部のランドマークタワーとしてそびえ立っているのか。 確かにオーラはすごかった。 守備練習でノックのゴロを捕り損なって横に逸らしても、その逸らし方がかっこよかった。顔をしかめて、言いわけがましく悔しそうになんかしない。パッと作った笑顔がすごく前向きに見えて、ボールを拾って一塁に投げるアクションが、もう一度かっこよかった。 清原の時って甲子園出たんだっけ、慶應高校。 いつの間にかそんな自問の答え探しの中に迷い込んでいた。 6月2日、早稲田大学の優勝で幕を閉じた春の東京六大学リーグ戦。 慶應義塾大・清原正吾選手は、打率.269をマークし、リーグ最高の5二塁打を放って、「一塁手」としてベストナインに選ばれた。 この春の清原選手は、常に打線の3番、4番に座り、毎試合ほぼコンスタントにヒットを放っていた。 慶應打線が明治大投手から4安打完封に抑えられた試合でも、ただ一人2安打(1二塁打)を放ち、8回まで無失点に抑えられていた立教大戦では、9回に決勝二塁打。やはり、チームでただ1人3安打の奮闘を見せた。 清原選手が慶應高当時、アメリカンフットボール部に所属してプレーに打ち込み、野球は大学に進んでから本格的に始めたことは、報道の中でももうあまり話題にならなくなった。 「いや、もう普通に野球の選手ですよ。お父さんの遺伝かどうか知りませんけど、野球が上手です」 私がてっきり慶應高校「野球部」出身だと勘違いした昨年の夏、堀井哲也監督もそう太鼓判を押していた。翌年、4年生になったらおそらくレギュラー……そこまで示唆して、堀井監督もすごく楽しみにしておられた。
【関連記事】
- 【写真】「えっ、何頭身なの…?」筆者も驚いた186cmの“慶應ボーイ”清原正吾のモデル顔負けのスタイルと爽やかフェイス。試合での迫力のフルスイングに、長男とソックリな父・和博さんの若かりし頃も見る
- 【必読】清原和博「ドラフトのことを謝罪してください」遅刻してきた巨人側は笑った「キミが来るなら、落合博満を切るんだよ」…FA移籍「落合vs清原」騒動
- 【こちらも】“清原和博ジュニア”の正吾が「慶大の4番」を任されていた…ホークス、社会人強豪も参加の“ナゾ大会”「薩摩おいどんカップ」とは
- 【注目】早大“7季ぶり六大学制覇”のウラに異色の「ピアニスト遊撃手」の存在あり…「偏差値75」全国屈指の超進学校出身・山縣秀(22歳)とは何者か?
- 【話題】「高校時代はマネージャーでしたが」慶応大・女性チーフアナリストが笑顔で語る“やりがい”「主将だった兄に“野球経験がないのがいい”と」