クルマが踊る!? アメ車カスタムの極致?ローライダーによるホッピングバトルを見よ!in『IKURA’sアメリカンフェスティバル2024』
富士スピードウェイで開催されたアメリカン・モーターカルチャーの祭典『IKURA’s アメリカンフェスティバル』(以下、IAF)の会場で、パドック前に専用の展示エリアが設けられていたLOWRIDER(ローライダー)。今回は派手なカスタムで注目度の高かったLOWRIDERを、ホッピングバトルの様子とともにリポートする。 PHOTO&REPORT:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu) IAFの会場で注目度の高かったLOWRIDER その発祥は南カリフォルニアに移民して来たチカーノにある 【画像】さまざまなローライダーカスタムを施したアメ車。。 富士スピードウェイ(静岡県)で2024年7月28日(日)に開催された『IKURA’s アメリカンフェスティバル2024』(以下、IAF)の会場には、ジャンルや車種、年式を問わず全国からさまざまなアメリカ車が集まった。その中でもMUSCLE CAR(マッスルカー)とともに、とくに注目を集めていたのがLOWRIDER(ローライダー)だ。 伝統的に白人中心のHOTROD(ホットロッド)に対して、LOWRIDERはチカーノ(メキシコ系アメリカ人)が礎を築き、のちに同じくアメリカ社会でマイノリティだったアフリカ系アメリカ人(黒人)のジャンル参入によって大きく盛り上がることになる。 その発祥の地は1940年代後半のロサンゼルスやコンプトンなどの南カリフォルニアで、メキシコをはじめとした中南米からアメリカにやって来た若者たちは、不法就労するものが少なくはなく低所得に喘いでいた。アメリカ西海岸ではクルマは必需品だが、彼らはクルマを買おうにも裕福な白人のように新車を買うことができず、格安で購入した中古のシボレーやダッジなどをベースに、新車に負けないゴージャスなカスタムを施すことで見栄を張った。 HOTRODに夢中だった白人の若者たちと違い、彼らはスピードを追い求めることはなく、車体をより大きく見せるために標準よりも小さなサイズのタイヤとホイールを装着し、車高を限界まで下げ、どのクルマよりも派手で目立つことを重視していた。その目的は街中をゆっくりとクルージングすることにあって、交通への危険性は少なかった。 だが、南カリフォルニアへの移民流入を問題視していた当時の白人社会は、人種的偏見とも結びついてメキシコ系移民の象徴であるLOWRIDERの存在を苦々しく見ており、彼らを路上から排斥すべく、カリフォルニア州政府は1958年1月に車両法を改正して車高をホイールリム底部よりも低くする改造を禁止して取締りを強化した。 これによってLOWRIDERはその命脈を絶たれるかに思われたが、1959年に整備士のロン・アギーレが航空機用部品を流用してサスペンションの高さを変更するアイデアを思いつき、車高の低いクルマで行動を合法的に走れるようになったことで、LOWRIDERは辛くも存続することができた。 アギーレが改造に使ったパーツは、のちに「ハイドロリクス(通称ハイドロ)」と呼ばれるもので、停車時は車体をグランドタッチさせて見栄を切るが、走行時は車高を上げてクルーズを楽しむというスタイルが広く浸透する。 ローダウンで公道を合法的に走るためのハイドロが いつかしか派手なパフォーマンスを見せるための手段に もともとは法の抜け道を掻い潜り、取り締まりを避ける目的で始まったカスタムであったが、やがてはハイドロの油圧やコイル、シリンダー長、スイッチングやアクセルワークを活かしたパフォーマンスがLOWRIDERの間で自然発生的に現れた。 ハイドロの仕組みはバッテリーを電源とする油圧ポンプをラゲッジルームなどに搭載し、足まわりにセットされたシリンダーに油圧ポンプでオイルを注入したり抜いたりすることで、車高調整をする仕組みとなっている。車両のサスペンションに前後独立あるいは四輪独立でポンプを装着し、駆動用のバッテリーを増やすことで歪でユニークな姿勢をクルマが取れるようになるのだ。 これにより「ホッピング」(ハイドロのスイッチをタイミングよく操作することで車両をホップさせること)、「ランニングホップ」(ホッピングしながら走行すること)、「スリーホイラー」(コーナーリング中に曲がる方向と反対側のリヤシリンダーを縮めることで重心移動と遠心力を利用しながら曲がる方向のフロントタイヤを浮かせること)、「ナチュラル」(バッテリーの大量搭載により重心が後方に移動した状態をキープすること)「ベッドダンス」(ハイドロを仕込んだトラックの荷台を操作して複雑な動きをさせること)などのパフォーマンスがLOWRIDERオーナーたちの間でブームとなった。 さらにバッテリーを増やせばそれだけ高電圧となるため、足まわりに装着したシリンダーの稼働スピードも速くなる。ということは、車両がホップするスピードも速くなるので、より高く車体を跳ねさせることが可能になる。そうしたことからLOWRIDERの間では、いつの頃からか車両を派手にカスタムするだけでなく、高くホッピングするなど、より派手なパフォーマンスを見せるマシンが称賛されるようになった。 日本上陸から40年!? ブームは去ったがモーターカルチャーとして根付く そんなLOWRIDERが日本に入ってきたのは1980年代のことで、バブル景気も追い風になって1990年代に人気に火がつき、若者の間でB-BOYや渋カジなどファッションが流行していた2000年頃がブームの頂点となった。 一時期はMOONEYES主催のStreet Car Nationalsやヨコハマホットロッドカスタムショーなどの、アメリカンカスタムのイベントではLOWRIDERが埋め尽くすほどの盛況ぶりを見せていたが、その後の経済の長期低迷、ガソリン価格の高騰、円安によるベース車両の価格上昇などが影響して往時ほどの盛り上がりは見せていない。 だが、それでも熱烈なファンは少なくなく、今回のIAFでは全国からLOWRIDERが集結。パッドック裏の特設会場を埋め尽くすほどの台数がエントリーした。 集まった車両の中にはアメリカ本国のカーショーでアワードを充分に狙えるクオリティの高いマシンも散見され、LOWRIDERにあまり詳しくない筆者のような門外漢でもエントリー車両を見て回るだけでも充分に楽しめた。 IAF会場も大熱狂!LOWRIDERによるホッピングバトルが熱い! LOWRIDERの展示エリアで目玉イベントとなったのがホッピングバトルだ。とくに改造無制限のアンリミテッドクラスは、人の背丈より高くクルマがホッピングをするため、安全を考えて1台ずつパフォーマンスを披露するというスタイルを採る。このクラスにエントリーしたのは内外装を美しく仕上げたシボレー・インパラやビュイック・リーガルクーペ 、シボレー・マリブなどの往年の名車たちだ。 そんな希少性の高いクルマが合図とともにホッピングし、リヤバンパーが地面にタッチする高さまでノーズを持ち上げる姿は圧巻だ。しかし、当たり前のことだがクルマはホッピングすることを前提には作られてはいない。 相応の対策が取られているとは言え、着地の衝撃は凄まじく、ホッピングを繰り返しているうちにパーツは外れて飛び散り、美しいペイントにはクラックが入り、サスペンションはナックルやアッパーアームが外れ、ドライブシャフトが脱落する。モーターやバッテリーはショートして火を吹き、過負荷に耐えきれなくなったポンプは壊れる。だが、そんな些細なことは構わぬとばかりに、一瞬のパフォーマンスのために限界に挑むのがこのクラスの特徴となる。 もちろん、オーナーにとっては大切な愛車である。ホッピングバトルの終了後は壊れたマシンはガレージに戻ってから完璧に修理し、傷んだ車体をリペイントして再び元の美しい姿へと戻し、次のイベントに備えるのだという。エントリーした彼らの姿はどこかアスリートを思わせるストイックさがあり、会場に集まったオーディエンスの声援を一身に受ける姿は最高にCOOLだった。
山崎 龍
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