「全部が崩れてしまった」鮮烈デビューのち、挫折、そして再起 仙台大のプロ注目右腕・佐藤幻瑛が語る“現在地”
消えなかった向上心、己を見つめ直した冬
昨年5月の取材時、佐藤は「できないことができるようになっていくことが面白い。自分は単純なので、ピッチャーが好きで、とにかくうまくなりたいんです」と話していた。入学からわずか数か月で球速が伸び、並み居る先輩投手を押しのけてエース級の活躍を見せていた時期。急速に「うまくなる」日々を心から楽しんでいた。
今春の新人戦決勝での登板後、「昨秋以降も野球を楽しめていたか」尋ねると、佐藤はしばらく考えたのち、口を開いた。「たしかに、1年生の時は何をやってもうまくいくという感じで楽しかったです。でも、うまくいった分、吸収するものも多くて、その吸収したものを一つ一つ、しっかりと理解することができていなかった。冬、いざ投げるとバラバラになっていて、体重も増えて、全部が崩れてしまった。だいぶ苦しみました」 トンネルを抜け出すまでには時間を要した。それでも、心が折れることはなかった。すべては「うまくなる」ための時間だからだ。球速にこだわりすぎることをやめ、一から投球フォームを見つめ直した。ストライクゾーン目がけてアバウトに投げる練習を繰り返すことで、制球力を磨いた。スライダーやカットボールなどの変化球を投げ込み、直球以外の精度も高めた。
2年連続の全日本、球の「重さ」武器に躍動
結局春までに本来の状態まで戻すことはできず、リーグ戦では悔しい思いをしたものの、2年連続で出場した全日本大学野球選手権では復活の兆しを見せた。 大会直前、「真ん中に投げてバットに当たったとしても飛ばない、重い球を投げよう」とのテーマにたどり着いた。体重は昨秋より5キロ以上重い85キロまで増加。肉体改造が結果的に功を奏し、直球の「速さ」を維持しつつ「重さ」も武器になっている感覚をつかんだ。
初戦の星槎道都大戦は最終回に登板して三者凡退。2回戦の九州産業大戦は8回1死一、二塁のピンチで救援登板し、タイブレークの11回途中までマウンドに立った。「リーグ戦でほとんど投げられなくて、失うものは何もなかったので、強気に投げるだけでした」。最後は粘りきれず、負け投手になった。ただ、首脳陣の期待に応える粘投だった。 苦悩する佐藤をそばで見守ってきた坪井俊樹コーチは「(全日本は)幻瑛がいなかったらもっと厳しい戦いになっていた。紆余曲折を経験できてよかったのではないか」と話す。全日本と新人戦の登板を経て、佐藤は「まだまだ。毎日、毎日、また悪い時に戻らないよう、『徐々に』という感じです」と冷静だったが、間違いなく光は見えてきている。