東京で一番多い名字「鈴木」。そのルーツは紀伊半島、修験道との結びつきも
鈴木(すずき)
本日から始まる新連載「名字365」。第1回は「鈴木」。かつては日本で一番多い名字ともいわれていましたが、現在では第2位であることがわかっています。というのも、パソコンなどなく手で集計していた時代には、どうしてもサンプルが関東周辺に偏ってしまっていたから。そのため、東京で一番多い「鈴木」が全国でも最多と誤認されていたのです。 ところでこの「鈴木」、ルーツは紀伊半島にあります。秋に稲の刈り取りが終わると、稲藁を束ねて藁塚を作ります。この藁塚は地域によって形が違い、和歌山県では家のような形にして中心に木を立てる。これをこの地方の方言で「すずき」といいました。 稲作は古代から生活の中心で、「すずき」も大事なものだったのです。「鈴木」という名字はこの「すずき」に因んで生まれたもので、漢字は当て字です。 やがて「鈴木」という名字は、熊野を中心として栄えた修験道と結びつきました。修験道という言葉は最近ではあまり聞きませんが、平安時代には朝廷を中心に広く信仰されており、交通の便が悪かったにもかかわらず、貴族や皇族達が何度も熊野詣に出かけていました。 そして、この修験道を広めた人達が共通の名字として名乗ったのが「鈴木」で、「鈴木」は紀伊半島から各地に広がっていきました。 中でも三河に転じた鈴木一族は武家として栄え、戦国時代には松平(徳川)家康に従いました。そして、家康に従って浜松、江戸と移り住み、江戸時代には江戸で次々と分家を繰り返して爆発的に増えていきます。現在でも東京では「鈴木」が最多である他、静岡県浜松市から愛知県の三河地方にかけては「鈴木」さんが極めて多いのです。 かつて鈴木本家の住んでいた和歌山県海南市には「鈴木屋敷」が残っています。戦時中に跡継ぎがおらず断絶したため一時屋敷は荒れていましたが、現在では修復されて2023年から一般公開されています。
森岡浩/Hiroshi Morioka
姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」など多数。
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