『海のはじまり』にみる生方美久の“脚本の妙” 『silent』『いちばんすきな花』との繋がりも
生方美久脚本作品にはCDや本など“古き良きもの”を取り入れた演出も
『海のはじまり』では、同じく目黒演じる想が水季の葬儀で大人たちの噂話が海の耳に入らないようにワイヤレスイヤホンを渡す。イヤホンは聴きたい音を届けてくれるものであると同時に、聴きたくない音、聴かせたくない音から守ってくれるものでもあるのだ。 そうした便利なガジェットをストーリーに活用する一方、CDや紙の本などスマホの普及とともに人々があまり手にしなくなったアイテムも重要な役目を果たしているのが生方ドラマの特徴。これは生方がミレニアル世代の作家であることも関係しているのではないだろうか。ミレニアル世代はITリテラシーが高いものの、10代の頃はまだスマホも今ほど機能性に優れていたわけではなく、CDや紙の本に触れる機会も多かった。『silent』の紬がCDショップの店員、『海のはじまり』の津野が図書館司書であることからも、生方はそうした古き良きものへの思い入れがあるように思える。 そして、そんな大事なCDや本を作中で敢えて粗雑に扱うことで登場人物の心情を視聴者に伝えることも。例えば、『silent』では想が聴覚を失っていくことへの恐れや苛立ちから棚に並んだCDを部屋の床に落とすシーンがあった。『海のはじまり』では水季の葬儀で会社を休んだ夏に先輩が「無理しなくていいからな。そういう時って自分では大丈夫って思っててもミスしたりするし」と労いの言葉をかけた直後、津野が図書館の本をぶちまける場面も。これらは彼らが自分にとって大事なものであるはずのCDや本を丁寧に扱う余裕すらないことを示している。 ながら見や倍速視聴が当たり前になっていると、取りこぼしてしまうものがいくつも散りばめられた生方のドラマは、自分に向けて発信される情報をしっかりと受け止め、想像することの大切さを教えてくれる。それは人に対しても同じだ。『silent』は「恋人」、『いちばん好きな花』は「友達」、『海のはじまり』は「親子」。主人公たちが主に向き合う相手はそれぞれ異なるが、違う人間同士が共に生きていくためには相手の言葉だけではなく、仕草や表情にも目を向け、気持ちを想像して歩み寄ることが必要となる。 そして夏は今、海を通して水季とも向き合っていると言えるだろう。水季に知らされていなかったから仕方ないとはいえ、夏は彼女の出産や育児の大変さ、闘病の苦しみに寄り添うことができなかった。だからこそ、夏は彼女の忘れ形見である海の父になろうとすることで水季の思いに向き合っている。それは水季と共に生きていることに他ならない。たとえ相手がもう亡くなっていたとしても、その人が残したものを一つずつ拾い上げ、想像することで共に生き続けることはできる。それが「ママいないの?」という海の問いに対する答えなのではないだろうか。
苫とり子