精神科医が「高校生の患者」にする質問の中身
■「頼りになる人」になることの弊害 思春期くらいだと、世界が学校と家しかないことがしばしばあり、学校で人間関係がうまくいかず、親にも分かってもらえないと思った瞬間に、簡単に追い詰められてしまう。内科外来には、追い詰められて具合が悪くなった瞬間の思春期患者がやってくることが多く、ある程度こじれにこじれてから来院することもしばしばある精神科外来とはそこが異なるような気がしている。 なので「大丈夫や、あんたのことは俺が分かっとるで、そのまま突っ走れ!」と謎のエセ関西弁を喋る、家でも学校でもないけど頼りになる人として医師が一時的に機能すれば、本人を取り戻してまた元の生活に戻っていける患者が多いのである。
とはいえこのやり方は諸刃の剣とも言えて、思春期患者に同一化しながら診療する態度は、必要以上に患者を退行[幼児的になること]させ、医師自身の未解決の葛藤に患者を巻き込んだり、逆に患者の葛藤に巻き込まれたりしやすいことが知られているし、実感としても十分感じていることである。 例えば反抗期がなかった子と聞くと、大人になるまでずっといい子だったよねーみたいな話になりがちである。私自身も小さい頃から菓子やカクレンジャーの人形がほしいあまり道で寝転んで買って買って買ってー!! と叫ぶ、みたいなことは一切しておらず、また今度ねと言われたら100%素直に応じていた。もはやそういう記憶もしっかりある。
中高時代は周囲全員の顔色を窺って、親にも教師にも友人にも好かれるように振る舞っていた。その頑張りの副次的な産物として、激烈に成績が良くならざるを得なくなり、現役で公立大学の医学部に合格したわけで、だからこそ今の自分があることは間違いないのだが、とはいえ自分は反抗期を通過していないのだなということについて、つい考えてしまうところはある。 親が敷いたレールからはみ出しそうになっている子がいたとして、親が本人を叱りつけながらそのレールに強引に戻そうとしている場面をみると、この子がせっかく自分で自分の人生を送ろうとしているのに、何を考えとるんやこの親は、とか思ってついイラッとしてしまう気持ちが出てくることがしばしばある。