「M-1」で「デブネタ」だけでは厳しいと評価され…苦しんだ「タイムマシーン3号」はなぜ、大ブレイクできたのか
ライブでネタの質磨く
そんな中で、浮上のきっかけになったのは、2013年に太田プロダクションに移籍したことだった。この事務所 は芸人が多く所属しており、ライブに力を入れる環境が整っていた。事務所のライブに集まる観客はお笑いに対して目が肥えており、そこで披露するネタは厳しい目で評価される。そういう場所で鍛えられた経験が、彼らの芸人としての基礎体力を大きく向上させた。移籍後、彼らはライブを重ねながらネタの質を磨き、実力を高めていくことに成功した。 2015年には「M-1グランプリ」で二度目の決勝進出を果たした。結果として優勝には届かなかったものの、以前よりも高い評価を受け、手応えを感じることができた。この経験を通じて、タイムマシーン3号は自分たちのスタイルに自信を取り戻し、次のステップへと進む準備を整えた。 その後、「有吉の壁」(日本テレビ系)への出演などをきっかけにして、テレビの仕事が少しずつ増えた。2019年1月にはYouTubeチャンネルを開設した。当初は漫才のネタ動画を中心にアップロードしていたが、漫才の一部を切り取ったショート動画を投稿すると、その再生数が急増。その後、関のキャラを生かしたグルメ・食べ物系の動画も人気になった。そうやって視聴者のニーズを的確につかむことに成功したことで、ついにチャンネル登録者数は100万人を突破した。 タイムマシーン3号がテレビやYouTubeで成功を収めた要因は、彼らの持つ「わかりやすさ」にある。それまでは「器用貧乏」「わかりやすいだけ」といった評価が彼らのコンプレックスになっていたのだが、現在ではむしろその特性が最大の武器となっている。 幅広い世代に親しまれる芸風は、YouTubeというプラットフォームにおいても大きな強みとなった。また、彼ら自身が過去のコンプレックスを受け入れ、ポジティブに変換したことで自信と安定感が生まれた。 取材などで彼らと会って話をしたこともあるが、タイムマシーン3号は2人のナチュラルな会話の空気感が面白い。良い意味で芸人らしさがないというか、肩の力が抜けた自然体の魅力がある。そういう本来の人間的な面白さが少しずつ世の中に知れ渡っていったことで、人気も伸びていったのだろう。 わかりやすい笑いを信条とするタイムマシーン3号は、今後も多くの人々を笑顔にしてくれるはずだ。 ラリー遠田 1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。 デイリー新潮編集部
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