【実録 竜戦士たちの10・8】(21)FA交渉解禁日、巨人・長嶋監督は落合への『恋心』隠さず「是が非でもほしい」
◇長期連載【第1章 FA元年、激動のオフ】 1993年11月28日の日曜日。日本プロ野球にとって、新たな歴史の幕が上がったのがこの日だった。旧所属球団を除く海外を含めたすべての球団によるFA宣言選手との交渉解禁日。中日は、球団代表の伊藤潤夫が兵庫県芦屋市の「ホテル竹園」に出向き、オリックスからFA宣言した石嶺和彦との交渉に臨んだ。 「年俸交渉とは違う。『この条件で誠意を持って迎えたい』と今日の席ですべて申し上げたい」と伊藤。「クリーンアップと外野の定位置」の保証は当然として、「ウチに来てもらうとなれば、生活の拠点を移さなければならない」と、グラウンド外でのVIP待遇も約束した。 中日が石嶺に用意した主な条件は(1)年俸1億200万円(旧年俸6800万円)(2)名古屋市内のマンションをあっせん(3)長男の幼稚園入園の世話(4)かつて肝炎を患った石嶺のために医師を紹介する―というものだった。 さらに、石嶺が希望するセ・リーグはDH制がない。そうなれば、広い甲子園よりも狭いナゴヤ球場の方が守備の負担が軽く、より打撃を生かすことができる。 「何が何でも野球をやろうというのであれば中日が有利。それは、私が今さらクドクド言わなくても、分かってくれていると思います」。夕方からの西武との交渉のため上京する石嶺を見送った伊藤が胸を張って、こう言った。 伊藤が石嶺との交渉に臨んでいたころ、ナゴヤ球場でのファン感謝デー『ドラゴンズ カーニバル』では、落合博満がドラゴンズ最後のユニホーム姿を披露していた。ゲームなどに参加することなく、ファンの前に姿を見せたのはオープニングとフィナーレの全ナイン整列のときだけ。それでも、選手会長の川又米利のあいさつにあわせて、内外野のファンに一度ずつ頭を下げた。 その落合の獲得を目指す巨人の長嶋茂雄監督はこの日、「日米OBドリームゲーム」に参加するため、宮崎にいた。晴れて交渉が解禁となった落合について聞かれると、「是が非でもほしい選手。今年のウチはクリーンアップが不在で不振を強いられた。獲得に乗り出すようお願いしたい」と”恋心”を隠そうとはしない。 「落合の魅力は?」と問われると、「実績、勝負強さ、キャリア。4番として数字を残せるバッターは落合以外いない」と、どこまでも熱いラブコールが続いた。 =敬称略
中日スポーツ