“原爆は終わっていない”海を渡った高校生平和大使 長崎の被爆3世、オスロの高校で「未来の世代の責任」訴え
■後遺症で闘うとはどういうことか
現地時間9日。揺れる電車と格闘しながら、オスロ市内の高校へ向かいます。車内でも、最後まで準備に余念がありません。 あの日から79年たった今、10代の自分たちにできることを。現地の高校生と向き合い、英語でスピーチしました。 津田さん 「私は津田凜です。被爆者3世です。被爆者が苦しみを乗り越えてきた記憶を残さなければなりません。私たちはきょうここオスロで、被爆者が語り続けてきたメッセージは失われていないということを伝えたい」 「原爆後遺症は79年後にも続いていました。生存しても多くが後遺症で亡くなりました」 祖父の強さんを紹介し、後遺症と闘うとはどういうことなのかも伝えました。
■鶴を折るレクチャーや議論する時間も
スピーチの中で、被爆者の家族が折った千羽鶴を紹介。折り紙で鶴を折る方法をレクチャーしました。 さらに、核兵器の廃絶や平和への考え方などを議論する時間も設けられました。 津田さん 「共感だけでは十分ではありません。私たちは彼らの体験談を未来の世代に伝えることで積極的に人々の関心を高めていかなければなりません。私たちのような未来の世代が過去について学び、決断をすることができます」 「被爆者の平均年齢は現在85歳を超えています。彼らの活動を続け、体験談を残していくことは私たち未来の世代の責任です。核兵器がもう二度と使用されない世界を築くために、ともにその責任を担うべきです」
■現地の高校生はどう受け取った?
ともに未来を担う世代として、現地の高校生は4人の思いをどのように受け取ったのでしょうか。 「被爆者本人だけでなく、後の世代にまで与えた影響について知ることができました」「家族の話や体験談は、とても心に響きました。僕たち学生はそれが再び繰り返されることを防がなければなりません」といった声が聞かれました。
■津田さん「責任があると自負」
津田さん 「世界でも家族愛だったり誰かを思う気持ち、それを奪っていく核兵器の恐ろしさというのは伝わっていくものなんだなと改めて思いました。これをつないでいかないといけない、その責任があると自負もしました」 被爆地ヒロシマ・ナガサキの願いを世界へ広げるため、海を渡ったメッセンジャーたち。微力だけど無力じゃない。それが、高校生平和大使のスローガンです。 (12月11日『news every.』より)