『ウルトラマンA』の呼称問題! すでに存在したヒーロー「ウルトラエース」って何者?
ヤバい! 「ウルトラA」はパクりになるゾ!
2024年11月現在、『ウルトラマンアーク』が絶賛放送中の「ウルトラ」シリーズは、これまで30タイトル以上が作られ続けてきました。その作品タイトルは「ウルトラマン◯◯」というカタチが定着しています。 【画像】えっ…顔ぶれ違わない? こちらが昭和&平成「超ウルトラ8兄弟」です そう考えると、シリーズ第2弾『ウルトラセブン』(1967年)だけ「ウルトラマンセブン」ではないことに違和感がありませんか? 実は、『帰ってきたウルトラマン』に続く第4弾『A(エース)』(1972年)も、当初は『ウルトラA』というタイトルが決定していたところを、現在のカタチに変更されたのです。なぜ『ウルトラマンA』に変わったのでしょうか? 当時を振り返ると、放送前から少年誌などに「A」のイラストや写真入りで「『帰ってきたウルトラマン』のあとはウルトラA!」と大々的にPRが展開され、『ウルトラA』のタイトルでマンガの連載も始まりました。一方、番組の撮影は第6話まで終了し、主題歌も「ウルトラエース」という歌詞でレコーディングが完了します。おおむね企画の進捗は順調でした。 そのようなとき「このまま放送するとヤバいぞ!」という大問題が見つかります。なんと、すでに「ウルトラエース」というソフトビニール人形(以下、ソフビ)が発売されていたのです。まさかの「ウルトラエースかぶり」発覚です。番組側は、商標のトラブル発生を考慮し、急きょ『ウルトラマンA』に改題します。この一大事にスタッフは大忙しだったことでしょう。 以上の出来事は、コアなファンにとっては有名なエピソードかもしれません。では、お騒がせの元となった「ウルトラエース」の玩具とはどのようなモノだったのかご存じでしょうか? 見たことないという人は多いかもしれません。
「怪傑透明ウルトラエース」って何者!?
その「ウルトラエース」は、胸にカラータイマーならぬ「A」のマークをあしらった正義のヒーローで、「マルサン」という玩具メーカーが展開した「怪傑透明ウルトラエース」なるオリジナルソフビシリーズの1体です。 「エース」は、ドイツの科学者「アインベック博士」が実験中に誤って「アルファー液」を体中に浴びたために変身したヒーローであり、マントを広げるとマッハ3で飛行でき、さらに頭からこれを被ると透明にもなれました。ちなみに特撮やアニメなどTV番組化はされていません。 スタンダードサイズとビッグサイズがラインナップされており、後者は目元が「ウルトラセブン」そっくりです。「頭のトサカ」「グレーと赤のボディ」といった点もおさえています。パッケージに「マルサンのウルトラ怪獣シリーズ」とあるように、約40種類の人形が販売され、そのなかには、どこかで見たっぽい怪獣もチラホラ姿がありました。これを見ると、逆に多方面からクレームがこなかったか気になってしまいます。ただし、「円谷プロ」とは決して不仲ではなかったように思います。 ●プラモデルやソフビのパイオニア、マルサン! 「マルサン(商店)」は1923年、東京に設立されます。日本の「プラモデル」を商標登録した玩具、模型メーカーで、66年放送の『ウルトラQ』や『ウルトラマン』に登場した怪獣のソフビ人形で一世を風靡しました。 しかし68年、第一次怪獣ブームに陰りが見えた影響で倒産します。元社員が「ブルマァク」という会社を設立し「ウルトラ」シリーズの版権許諾先は同社へ移りました。翌69年に「マルサン」は再建され、そしてオリジナル商品として「ウルトラ怪獣シリーズ」を作り上げたわけです。そのなかに「怪傑透明ウルトラエース」がありました。 「ウルトラA」の商標について当時、マルサンが円谷プロへクレームを入れたとうわさされましたが、そのような事実はなかったといい、『ウルトラマンA』への改題は番組側が自主的に行ったとされています。そもそもソフビ販売の縁が深かったからか、マルサンはその後、「ウルトラ」シリーズなどの版権許諾を得て、従来のソフビより小さい「ミニソフビ」を商品化させています。 もしも52年前、番組が「ウルトラA」でスタートしていたら、そのあとも「ウルトラタロウ」、そして今の「ウルトラアーク」へと続いていたかもしれません。でも、耳なじみが良いとはいえ、やっぱり「ウルトラマン◯◯」という冠に格式を感じませんか。そしてその永く続くネーミングの陰には、「ウルトラエース」というスーパーヒーローが存在したのです。
玉城夏