「悪役商会」八名信夫さん89歳 能登半島地震を乗り切るも、持病のヘルニアを再手術(あの人は今)
【あの人は今こうしている】 八名信夫さん(89歳 ) 多くの映画で悪役を演じ、1983年に俳優集団「悪役商会」を結成。その後も映画、ドラマで活躍するほか、キューサイの青汁のCMの「まずい! もう一杯」のセリフが多くの人の記憶に残る八名信夫さん。今、どうしているのか。 【写真】小出恵介さん大いに語る 醜聞での活動休止、演じることに悩みNYへ、そして結婚…3年前に俳優業を再開 ◇ ◇ ◇ 小田急線成城学園前駅そばの喫茶店。ダンディーに着こなし、背筋もピンと伸びて元気そうだ。 「元気なフリをしているんだよ。80歳を過ぎれば、みんな何かしらある!」 八名さん、まずはこう言って笑った。明治大学を2年で中退し、56年、投手として東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)入団。59年にケガで引退すると、会社命令で俳優に転身した。 「役者になる前、プロ野球選手だった頃、試合中に腰を大ケガしたのが、今頃になって響いているんだ。去年の年末には、富山県にいる親しい医者にかかって、腰の手術をした。それで大晦日に一時退院しホテルでそばを食ってたら、元日に能登半島地震に見舞われた。大きく横に何度も揺れて、もうダメかと思ったよ」 震災は何とか乗り切ったが、長年、腰椎椎間板ヘルニアに悩まされてきたという。この10月には、都内で再手術の予定だそうだ。 「それでも、いろんな活動してて忙しいよ。この1月までは2年間、『週刊ポスト』でエッセーを連載してきたんだ。週1本、新しいネタで書くのは大変だったね」 この8月「悪役は口に苦し」(小学館)として出版した。 「何年も前から東日本大震災や熊本地震の被災地に、悪役商会の劇団員を連れていって応援してきた。この春には、センバツに選ばれた日本航空石川高校に道具が満足にないと聞き、野球部にボールを100球超送ったよ」
1人暮らしで自炊は得意
2017年には「おやじの釜めしと編みかけのセーター」、翌18年には「駄菓子屋小春」という映画を監督・脚本・主演で製作。全国の市町村の公民館などで無料上映してきた。 「なぜ映画を作ったかというと、80歳を過ぎたら、自分の歩んできた足跡を振り返るようになったんだ。オレの人生はこれで良かったのか。何かの、誰かの力になってきたのか。そういうことを考えるようになってオレにできるのは映画だ、と。それで、思いやりをテーマに、『おやじ──』では故郷の大切さや親子の絆を描き、『駄菓子屋──』では震災から立ち直る人たち、とくに子どもを撮ったんだ。コロナで行けなくなったけど、『おやじ──』は30カ所、『駄菓子屋──』は70カ所ほど回った」 製作は全てポケットマネー、何かきっかけがあったのだろうか。 「戦争の記憶だね。9歳のとき、故郷・岡山で空襲にあった。逃げる途中、近所の同級生が焼けている家から這い出してきて、体から真っ白な湯気をあげながら、『助けて』と手を伸ばしていた。だけど、オレは怖くて逃げたんだよ。なんで手を差し伸べてあげられなかったのか……。そのことがずーっと頭に残っていて、年齢が上がるにつれて、困っている人を助けたいという気持ちが大きくなってきたんだ」 前妻と約40年前に別れて以来、ずっと1人暮らしだ。 「家事は嫌じゃない。自分で買い物して、自炊してるよ。店に食べにいったとき、気に入った料理の作り方を聞いて、レパートリーを増やしてきた。3、4日に1回はステーキを100グラム食べ、大好きな味噌田楽は毎日。得意料理はチャーハン、オムライスだな」 想像するだけでも、豪快でおいしそうだ。 「飢餓海峡」「仁義なき戦い」シリーズ(東映)をきっかけに悪役として頭角を現した。 「同郷の内田吐夢監督に『飢餓海峡』で絞られた。借金取りの役で何度もダメ出しされて、画面に映らない足元まで演技を求めるんだ。役者としても作り手としても、一番勉強になったな」 83年に「悪役商会」を結成すると、映画「居酒屋ゆうれい」やNHK朝の連続テレビ小説「純情きらり」などで活躍。バラエティー番組「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)やキューサイの青汁のCMは代表作だ。 「バラエティーに出るのは、最初は恥ずかしかった。でも、出てみたら沸いて(ウケて)、悪役を演じていたときとは違う面白さがあった。キューサイのCMは26年続いた。『まずい!』のセリフはオレが考えたんだよ。あのCMに出てから、新幹線で修学旅行生と一緒になると大変! オレがグリーン車で寝てると、あいつらはグリーン券もないのにやって来て、『青汁が寝てる!』ってパチパチ写真を撮るんだからまいったよ(笑)」 芸歴66年。生き延びてきた秘訣は何なのか。 「言いたいことは言う、ってことだね!」 (取材・文=中野裕子)