「35歳で乳がん」からの挑戦 “むすび”をチカラに…がん治療を経て生まれたアイデア
35才で乳がんになった女性。キッチンカーで販売するおむすびに込めた願いとは── ふっくらつやつやに炊き上がったお米で作るのは、シンプルだけど、どこか味わい深い塩おむすびです。 【動画】35歳で乳がんになった私の挑戦 特徴的なカラーのキッチンカーで販売するのは、2人の子どもを育てる安藤梢さん(38)。4年前の夏、乳がんと診断されました。 「『何か痛い』と感じて、胸をさわったら、しこりがあるなと。1カ月後ぐらいに脇にもしこりがあるなと気付いた」(乳がんの手術を受けた安藤梢さん) 検査の結果、がんは、胸のリンパ節に広がった状態のステージ「3C」と告げられました。 「ステージが結構進んでいるので『全摘しかない』と言われて、『全摘かー』と思ったけど、命より大事なものはないかなと思って」(梢さん) 「妻は明るくしていたけど、僕はかなりショックでした」(夫の安藤雅人さん)
「子どもがいなかったら、乗り越えられていなかった」
当時、子どもたちは2歳と4歳。 「入院中、下の子の預け先を探さないといけなくてすごく大変だった。上の子も幼稚園の先生に言わないと、周りに助けてもらえないと乗り越えられないと、サポートをしてくれる人を探すのに、どたばたの1カ月でした」(梢さん) 新型コロナが拡大し、病室での面会が制限される中、家族は病院の外からビールシートにガムテープでメッセージを送り続けました。 「お母さん、いつも一緒だよ」※当時のメッセージの写真から Q.どんな思いで書いた? 「まだ生きていてほしいなって」(娘・安藤なな子ちゃん) 手術で摘出した右胸。 「作っている人がいて買って入れている。息子は当時2歳で何を思ったのか右胸を見て『お母さんかわいい』と言った。子どもがいなかったら乗り越えられていなかった」(梢さん)
“塩むすび”との出会い
闘病生活を支えた、家族の存在。 アスレティックトレーナーである夫の雅人さんからは、筋力をつけるトレーニングを教えてもらっています。 そして、義理の母からは── 「抗がん剤はしんどくて、副作用で何も食べられなくなったときに、持病がある義理の母が震える手で握ったおむすびを震える足で私のところに持ってきてくれて、そのおむすびがすごくおいしかったと覚えていた。おいしいおむすびがあるんだと感じた」(梢さん)