国学院久我山 イチローさんを呼んだ手紙の内容 選抜高校野球
第94回選抜高校野球大会に出場する国学院久我山(東京)は2021年秋、37年ぶりに秋の東京王者となった。それから1カ月もたたない同年11月末、プロ野球のオリックスや米大リーグのマリナーズなどで活躍したイチローさん(48)=本名・鈴木一朗=が「臨時コーチ」として同校を訪れた。野球界の「レジェンド」が来るきっかけになったのが、熱意のこもった手紙だった。 22日に行われた1回戦。阪神甲子園球場のアルプス席には、イチローさんが国学院久我山に来るきっかけをつくった田村優樹さん(18)がいた。「選手は、指導してくれたイチローさんのためにも頑張ろうとプレーしているはず。この大舞台で戦う精神面での支えになっていると思う」と後輩の戦いを見守り、「イチローさんにもどこかで見てもらえていたらうれしい」と話した。 20年秋の東京大会。チームは早々と敗れ、夏の甲子園を目指して気持ちを切り替えようとした。そこで動いたのが、当時2年生だった田村優樹さん(18)。イチローさんと共通の知人から「手紙を書いたら練習に来てくれるかもしれない」と聞き、2年生の22人全員に「チャンスがあるから書いてみないか」と提案した。当時は新型コロナウイルス感染拡大の影響で思うように練習ができず、田村さんは「手紙を書いて少しでも来てもらうチャンスがあるなら、チームにとってプラスになると思った」と振り返る。 21年1月、田村さんの呼び掛けに応じた選手は1、2枚の便箋に手書きで思いを寄せた。「野球がうまくなりたい、強くなりたい、そのために来てほしい」。田村さんも自宅の机に向かい、「字がきれいなほうが(手紙を)受ける側も気持ちがいい」と3回ぐらい書き直したという。小さい頃から憧れの選手であったこと、間近で見てプラスになることが絶対にあると感じていること、などを熱くつづった。 選手22人の行動力は「奇跡」を起こした。数カ月後ぐらいに「手紙を受け取った」という返事が来た。田村さんは当時の心境を「『さすがに来ないかな』と思っていたので『うれしい』というか『届いていたんだ』っていう感じだった」と明かす。ただ、イチローさんのスケジュールや指導規則などにより、田村さんが引退するまでに指導は実現しなかった。田村さんの代の夏は西東京大会決勝まで勝ち上がったものの敗れ、甲子園に届かなかった。田村さんたちが味わった敗戦の悔しさは後輩が引き継ぎ、センバツへの道を切り開いた。 21年11月末にグラウンドを訪れたイチローさんは、最初のあいさつで、田村さんらを前に手紙に触れた。バッグから手紙を取り出し、「ここにきた理由はこれです」と切り出すと、「すごく気持ちの伝わる手紙をいただきました。田村君から手紙をもらって、大切なものが入っている(自宅の)引き出しに保管しています」と伝えた。さらに手紙の宛名が「鈴木一朗様」で、「イチロー様」ではなかったことに「これが良かったんですよ」と言って理由を尋ねると、田村さんは「本名のほうが気持ちが伝わるかなと思いました」と伝えた。イチローさんも「ありがとうございます」と感謝の言葉を贈った。 田村さんは「全国制覇への思いや、野球がうまくなりたいという手紙でイチローさんが動いてくれて、一緒に全国制覇を目指してきた後輩にいい形でためになった。自分たちにとってもいいことだし、すごくうれしかった」と振り返る。国学院久我山の選手たちは甲子園でどのような姿を見せるのか。夢のような時間を実現した田村さんも、指導したイチローさんも楽しみにしている。【浅妻博之】 ◇全31試合をライブ中継 公式サイト「センバツLIVE!」(https://mainichi.jp/koshien/senbatsu/2022)では大会期間中、全31試合を動画中継します。また、「スポーツナビ」(https://baseball.yahoo.co.jp/hsb_spring/)でも展開します。