坂本冬美の『モゴモゴ交友録』村田英雄さん(享年73)ーー 「俺は先生じゃない!」最初の挨拶でピシャリと言われ、以来 “御大” とお呼びするように
わたしのデビュー曲『あばれ太鼓』は、岩下俊作さんがお書きになった小説『無法松の一生』をモチーフにした歌で、村田英雄御大(おんたい)の代名詞ともいえる歌『無法松の一生』へのオマージュ作品です。 【写真あり】坂本冬美をもっと見る ーーえっ!? 村田先生じゃなく、村田御大? そう、なんです。じつはこれには理由がありまして。デビューする際、ご挨拶に行かせていただき、何も考えずに「村田先生」とお呼びしたらジロリと睨まれ、「俺は先生じゃない!」と、ピシャリとひと言。 ……先生じゃなきゃ、なんてお呼びすればいいのかしら? ピチピチ、トゲトゲの19歳だったわたしはつかの間悩み、以来、村田御大とお呼びするようにしたのです。 この村田御大と師匠である猪俣(公章)先生は、ともに古賀政男先生門下で、村田御大が兄弟子、猪俣先生が弟弟子の関係で、一時期、猪俣先生が、村田御大の履く草履を並べていたこともあったそうです。 あの猪俣先生が!? 草履を並べていた? 信じられません。アンビリーバボーです。怖いもの見たさで、ちょっと見てみたかったような気もしますが、モゴモゴモゴ(笑)。 猪俣先生の弟子ということで、わたしも村田御大には大変かわいがっていただきました。 当時、レコード会社はイケイケの時代で、10万枚突破記念、20万枚突破記念……と、その都度パーティを開いてくださったものですが、そのパーティに村田御大が足を運んでくださって、30年間使っていらした愛用のバチをプレゼントしていただいたこともあります。 春日八郎さん、三橋美智也さんとともに結成された「三人の会」にゲストとして呼んでいただいたこともありますし、デュエットソング『平成5・5(ゴーゴー)音頭』を歌わせていただいたこともあります。 正直に言いますと、「『平成5・5音頭』!? それを村田御大とわたしが歌う? 嘘でしょう?」と思ったものですが、今となってはそれも大切な宝物です。 レコーディングもジャケット写真の撮影も別々で、ご一緒に歌わせていただいたのは、歌番組の一度だけ。その際、マネージャーさんが間違えて2番の歌詞カンペを出し、途中まで歌ったところでNGになり、村田御大がマネージャーさんを「歌詞くらい覚えておけ!」と一喝されたのを間近で見たときには、思わず噴き出しそうになってしまいました。 村田御大といえば、「コーヒーはブラックに限る」と言いながら砂糖を入れて飲んでいたとか、飛行機に乗っていて「暑いから窓を開けろ!」とおっしゃったとか、もう数えきれないほどの伝説がありますが、「本当にそういうことを言うんだ」と思うと、もうおかしくておかしくて。笑いを堪えるのに必死でした。 糖尿病の合併症が原因で、右下肢閉塞性(みぎかしへいそくせい)動脈硬化症を患い、右膝下を切断されたにもかかわらず、「かわいい後輩だから」と、NHKの『ふたりのビッグショー』に、出演してくださったことは、どれだけ感謝の言葉を並べても、感謝の気持ちが尽きることはありません。 唯一の心残りは、御大のご葬儀に参列できなかったことです。いただいたご恩を思うと、すぐにでも駆けつけたかったのですが、当時のわたしは休業中で、行方不明説や死亡説がまことしやかに囁かれていた時期でしたから、わたしが参列することで、ご迷惑をおかけしてはいけない……と、ぐっと気持ちを抑え込んで、空を仰ぎながらそっと手を合わせていました。 村田御大、本当にお世話になりました。そして、本当にありがとうございました。 さかもとふゆみ 1967 年3月30日生まれ 和歌山県出身『祝い酒』『夜桜お七』『また君に恋してる』『ブッダのように私は死んだ』など幅広いジャンルの代表曲を持つ。現在、最新アルバム『想いびと』が好評発売中! 写真・中村 功 取材&文・工藤 晋
週刊FLASH 2024年12月10日号