ムニアインが約20年過ごしたビルバオを退団…「このクラブこそ人生最高だった。でも僕の愛よ、別れの時が来たんだ」 | ラ・リーガ
アトレティック・クルブFWイケル・ムニアイン(31)が24日、同クラブを退団することを発表している。 12歳でアトレティックの下部組織に加わり、16歳でトップチームデビューを果たしたムニアイン。それからレアル・マドリーなどのクラブからの興味も噂されながら、ずっと“ワン・クラブ・マン“を貫いてきた同選手だが、エルネスト・バルベルデ監督が率いる今季のチームでは出場機会が激減していた。 先にクラブの40年ぶりとなるコパ・デル・レイ優勝で、主将としてトロフィーを掲げたムニアインは、それを機に退団を決断。クラブのオウンドメディアを通じて、スペイン語で、次ようなメッセージを伝えている。 「僕はまだ子供だった12歳の頃にビルバオにやって来た(※ムニアインはナバーラ州パンプローナ出身)。それから約20年、トップチームでは15年を経た今日、今季終わりに退団することを発表するよ。」 「僕は幸せな気持ちでここを去る。25回目のコパ優勝トロフィーを掲げ、40年ぶりにガバラ(水上パレードで使用するはしけ船)に乗るという、あれだけ願っていた夢を叶えた後で。何か、信じられないことだったよ。ファンとチームが示した絆は、僕たちが本当に世界唯一の存在であることを証明したんだ」 「とても難しい決断だった。でもアトレティックにとっても僕にとっても、これが一番良いんだ。僕たちが祝勝会で歌った、この歌の通りだよ。『(バスク語で)私の人生の中で、あなたこそが最高だった。しかし私の愛よ、別れの時が来たんだ』」 「残りの試合、僕たちはいつものように戦っていきたい。チャンピオンズリーグ出場の夢のために。(バスク語で)ありがとう、そしていつだって、アウパ(がんばれ)・アトレティック!」 ムニアインはアトレティックのトップチームで557試合に出場。これは元GKホセ・アンヘル・イリバル氏の614試合(1962~1980年)に次ぐクラブ歴代2位の記録となる。同選手が他クラブに移籍するのか、それとも現役を引退するのかは不明。一部メディアではファンであることを告白するアルゼンチンのリーベル・プレートへの移籍もささやかれている。 なおアトレティックの第二キャプテンであるMFオスカル・デ・マルコスは、チーム内でムニアインが退団する旨を伝えた際、「今季のムニアインの行動を、その振る舞いを皆が覚えていなくてはいけない。彼は今季も、自分の置かれる状況にかかわらず、日々にわたって僕たちをサポートしてくれたんだ。彼は僕たちにとっての模範だった。本当に、すべてにありがとう」との言葉を口に。ムニアインは自身の出場機会に関係なく、“真のキャプテン”であり続けたことを強調した。