米国人弁護士が交代石垣島事件の裁判をめぐる不運な事情~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#49
証言台にも立てず、困惑した被告たち
主任弁護人になれる正式な資格も持たぬまま、主役として弁護活動したブライフィールド嬢だったが、日本人の弁護人4人は、その拙さと意見を聞かない態度に不満を抱いた。 <嘆願書> 同日24日、ハロルド・キンゼル少佐が再び法廷に現われるに至り、その後、三人が顧問弁護人として在廷しましたが、終始主役を勤めたのは、ルース・ブライフィールド嬢でありました。 しかも、私どもの意見は用いられぬことが度々であり、被告人の中には証言台に立ちたいと主張する者があるに拘わらず、これを許容せず、もしそれを強く主張するならば顧問弁護人を辞すると言って、被告人らを困惑させ、陳述の機会を奪いました。
アメリカ人弁護人への不満は最後まで
<嘆願書> このようにして、ジョセフ・ジー・ワイマン氏更迭後のアメリカ人顧問弁護人に対する、私どもの不満は最後まで続きました。 3月16日に下された、あの驚くべき判決は、彼らの無力の何よりの証明であり、被告人ら及び私どもが最後まで彼らに不満を抱いていた事が決して間違っていなかったことを証明するものと思います。 しかも、ジョセフ・ジー・ワイマン氏の復帰を最も強く主張した湯川忠一、及びルース・ブライフィールド嬢の無力に最も明白に不満を表明した村田保定は、この判決後、横浜軍事法廷における他の戦犯事件の弁護を担当させないと弁護団長より通達せられました。 〈写真:死刑の判決を受ける井上乙彦大佐(米国立公文書館所蔵)〉
弁護人に恵まれぬ不運、不利益を被った被告たち
この嘆願書をみると、日本人の弁護人が満足のいく弁護活動が出来たとは到底思えない。しかも、不満を表明した弁護士二人は、石垣島事件の裁判後、ほかの戦犯裁判を担当することすら出来なかった。 <嘆願書> 以上の記載により、この事件がアメリカ人顧問弁護人の交代及び後継者の人選において、いかに不運であったか、そして被告人らの意思が公正に代表せられず、その結果、如何に彼らが不利益を受けるに至ったかをご了解下され、裁判をやり直して、公正妥当な判決が、改めて下される機会を与えられるよう重ねて懇願する次第であります。 「不運」という言葉では片付けられない、弁護人の人選。次々に言い渡される死刑の判決にブライフィールド嬢は遂に泣き伏したという。そして二回の再審でも7人の死刑は覆ることはなかったー。