米国人弁護士が交代石垣島事件の裁判をめぐる不運な事情~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#49
ワイマン氏の交代で弁護に暗雲
<嘆願書> 私どもはこの暴行事件を目撃しており、非は検事にあると考えておりましたのに、検事は罷免させられず、弁護人のみが罷免させられるのは、了解ができませんでしたし、公判が重要段階に入っている時、主任顧問弁護人の交代は、被告らに極めて不利益であると考えましたので、全被告人らとも協議の上、共同して嘆願書を作成し、同日弁護団長を訪れ、これを提出しジョセフ・ジー・ワイマン氏の罷免取消を願いましたが、聞き入れられませんでした。 その後の審理における弁護は、ハロルド・キンゼル少佐が、この事件の内容を知らぬのと、熱意を持たない為、主として補助顧問弁護人であったルース・ブライフィールド嬢により、あたかも彼女が主任顧問弁護人であるかのように行われました。しかし、彼女は第四等級の弁護人で、主任顧問弁護人になる資格を持ってはおらず、その能力が貧弱であることは毎日の法廷において次第に明らかとなり、被告人ら及び私どもとして、痛く失望せしめるに至りました。 〈写真:石垣島事件の法廷(米国立公文書館所蔵)〉
力不足のブライフィールド嬢の弁護
<嘆願書> 検事側証人に対する反対訊問の拙さは、私共を憤慨させるものでした。殊に同月26日弁護側の反証段階に入った日、彼女の弁護側証人に対する訊問の拙劣さは、私どもをして我慢できぬ不満を感ぜしめました。私どもこのまま審理が進行することの危険を痛感し、全被告人の同意を得て、同日再び、弁護団長を訪れ、被告人ら及び私どもの不満を述べ、ジョフ・ジー・ワイマン氏の復帰を求めましたが、聞き入れられず、それならば同氏は法廷外でこの事件の弁護に協力することを許されたいと願いましたが、これも許容されませんでした。 同年2月2日法廷に姿を見せなかったハロルド・キンゼル少佐は以後、同月20日迄、病気の為欠席するに至り、同月11日よりウィリアム・マルチン少佐が、法廷に列席するに至りましたが、彼は中途から事件に関係されたので、弁護に力を発揮する機会がありませんでした。 〈写真:横浜軍事法廷がひらかれた横浜地方裁判所(米国立公文書館所蔵)〉