なでしこジャパンの小柄なアタッカーがマンチェスター・シティで司令塔になるまで。長谷川唯が培った“考える力” <RS of the Year 2023>
ベレーザ時代に築いたインテリジェンスの礎
――長谷川選手がベレーザの下部組織に入団した小学6年生の頃は身長1m35cm、体重は20kg台後半だったそうですが、自分より大きい相手と戦う中で、どんなことを考えていたんですか? 長谷川:その当時は無意識にやっていました。今はぶつかっても負けないようにする体づくりをしていますし、当たっても勝てることがあるのでコンタクトするシーンも多いですけど、その頃は体も小さいし筋肉もなかったので、「ぶつかったら負ける」という感覚でした。しかも、試合の相手は大学生や社会人だったので「負けても仕方がない状況の中でどうするか」ということをいつも考えながら自然とポジショニングをとっていました ――試合の中で、いろいろなことを考えながら感覚的に積み重ねていったんですね。 長谷川:はい。自分にパスが渡るまでに相手がどれだけ移動してくるか、そのためには最初にどのポジションを取るといいのか、相手とどのぐらい距離を空けてポジションを取れば奪われないかといったことを感覚的に身につけていったと思います。 ――若い頃から足元の技術も高く評価されていましたが、スペースなどを考えてパスを出していたわけではなかったんですか? 長谷川:まだ細かいサッカーの原理原則をできていなかったので、当時は(同じように小柄だった)籾木結花選手(現リンシェーピング所属/スウェーデン)と一緒にプレーする中で、どちらかが降りてきてどちらかが裏に行く動きだったり、「相手がこの人についていくとこのスペースが空く」という、近いポジションの関係は把握していました。 ――年代別代表では海外の選手ともよく対戦しましたが、「大きい選手に勝てる」という手応えをつかんだのはいつ頃だったんですか? 長谷川:背の高い選手やフィジカルの強い選手に対して「やれるな」と感じたのは、高校1年生くらいです。その前から技術的な面で上回っていると感じることが多かったので、筋トレを高校1年生くらいの頃から少しずつ始めて、ある程度体ができてきてからは、大学生との試合でぶつかっても負けないなという感覚を持てるようになりましたね。 ――以前、試合中に見る場所について聞いた際に「どのスペースが空いているか、パス交換の後にもその都度見るようにしていて、それを繰り返すと全体的に空いてくるスペースがわかるようになる」と話していましたが、それはいつ頃からやっているんですか? 長谷川:そういうことを理解できるようになったのは、2018年から3シーズン、ベレーザで永田雅人さんに指導を受けたことがきっかけです。永田さんの下では「オフザボールで味方についているマークをいかに引き出せるか」を意図的にやっていました。だからこそ、ボールに触りたい気持ちがあっても、チームにとってプラスになるオフザボールの動きができるようになりましたし、シティではそういうプレーも評価してもらえているので。そういう意味では今、スタッフや評価してくれる人たちに恵まれています。 ――ボールを持たなくても、ゲームをつくるイメージが持てるようになったんですね。 長谷川:はい。ポジションがインサイドハーフなら、もっとボールを触りたいという感覚はあるんですけどね。シティではインサイドの選手がボールを受けて前を向くことが一番チャンスにつながるので、そのポジションの選手はたくさんボールを受けたがるほうがいいと思っていますし、自分がアンカーで相手を引きつけることによって中のパスコースを開けるようにしています。