伝承調査で三重県から感謝状 松阪高地理部 玉城町の水害碑、国土地理院が登録
2年の清水さんと余谷さん発表
三重県松阪市垣鼻町の県立松阪高校の郷土研究・地理部(奥野誠人、河井隆志両顧問、4人)が調べたのをきっかけに、度会郡玉城町昼田に残る1885(明治18)年に発生した大洪水の被害を伝える水害碑が、今年8月に国土交通省国土地理院の自然災害伝承碑に登録された。その功績をたたえ、県は12日午後4時15分から高町の県松阪庁舎に部員を招き、生徒たちによる発表や感謝状贈呈を行った。 自然災害伝承碑は、土砂災害や地震、津波などの自然災害の被害状況などが記された石碑やモニュメント。登録されると国土地理院の公式ホームページで公開される。10月末で全国637市町区村2206基が登録され、県内では、多気郡大台町の2004(平成16)年台風21号の伝承碑など17市町に83基ある。 1885年は、6月上旬から7月1日にかけて降り続いた雨と台風で全国の川が決壊して大洪水をもたらし、県内でも54人の死者が出た。玉城町は最も被害が大きく、宮川の堤防が約436メートルにわたって決壊。21年時点で人口122人だった昼田で19人の犠牲が出た。 同部では県内の伝承碑の分布を分析して、災害別の特徴などを調べていた。さらに江戸時代以降の宮川流域の文献調査を重ねた結果、水害被害があった玉城町に伝承碑の空白地帯があること、水の勢いを弱めて、岸が削られるのを防ぐ水制遺構の水はね堤「百間(ひゃっけん)バネ」が残っていることを見つけた。 そこで同部2年・清水綾乃さん=阿形町=と同・余谷莉瑚さん=多気郡大台町弥起井=が本格的に現地調査を開始。玉城町役場に赴いて80代の地元住民を紹介してもらい話を聞くなどして、歴史をひもといていった。 調査によると、碑は川が決壊した付近にあったが、昭和30年代に薬師堂の隣に移設。水害以降に建設された石積みの「百間バネ」は同20年代には既に土砂に埋もれて見えなくなってしまった。しかし住民が聞いた話では、城の石垣のような立派なものだったという。 2人は調べた内容を「歴史遺産を活用した『防災・地域史学習の場』をつくりたい」と題してポスターにまとめ、今年3月に日本地理学会主催の大会で発表したところ、専門家から国土地理院への登録を勧められた。そこで町にも働き掛け、登録に至った。昼田には現在、水害があった近くに自然体験・環境学習ができる広場「たまき水辺の楽校(がっこう)」が整備されており、2人は同所を生かした地域史・防災学習を提案している。 2人は、こうした内容をこの日に合わせて発表し、県職員約30人が聞き入った。清水さんは「ようやく終わってホッとしている」、余谷さんは「ちょっと緊張したけれど、今後も百間バネの調査が進んでくれたらうれしい」とそれぞれ話した。