『アンメット』は台詞にはせずに“愛”を描き出した “信じて、続けた”制作陣の姿勢に拍手
『アンメット』から日本のドラマは新たな領域に突入したと言っても過言ではないだろう
ふたりが「婚約者」となったのは、ケープタウンの学会のあと、新型ウイルスの集団感染により隔離されたときだった。いつ帰国できるかもわからない絶望の中で三瓶は、重度の障がいがある兄を施設に入れることに抗えなかった自責の念を吐露する。蝋燭の火を前に、光を当てると影ができ、そこに光を当ててもまた影ができるということ、医療には、そして「人を照らす」という行為には限界があることを噛み締める。ミヤビは紙筒を蝋燭にかぶせながら、三瓶に語りかける。このときのふたりの会話が、本作の急所といえるだろう。 「こうすると影が消えます。なんかお腹空いてきましたね。日本に帰れたら、ご飯行きませんか?」 「いいですよ」 「研修先の病院の近くにおいしいごはん屋さんがあるんですけど、そこの焼肉丼がすっごく美味しいんです」 「あの……不安じゃないんですか?」 「不安です。でも、自分の中に光があったら、暗闇も明るく見えるんじゃないかなって。だから、おなかが空きます」 「川内先生、僕と結婚してくれませんか」 「はい」 本作が、絶えず「食べるシーン」を大事に扱ってきた理由が、この会話に集約されていた。食べることは生きること。食べることは「信じて、続けること」そのものだ。その希望を最初に三瓶に与えたのは、ミヤビだった。 最後まで視聴者を信頼して、余計な説明台詞、説明的描写を一切排除し、人物の(もはや「台詞」とは言いがたいほどに)自然な言葉、表情、仕草を、「あるがまま」収めることに徹した俳優・スタッフ。その「信じて、続ける」姿勢に拍手を送りたい。どの役者も「現時点で最高得点」と言えるほどに素晴らしい演技を見せてくれた。全身全霊でミヤビとして「生き」た杉咲花。テレビ的な説明台詞に抗い、自ら台詞一字一句のブラッシュアップを重ねたという若葉竜也。『アンメット』から、日本のドラマは新たな領域に突入したと言っても過言ではないだろう。
佐野華英