愛子さまが卒論のテーマにした皇族女性「式子内親王」とは?平家全盛から源平合戦までの<平安末期>を生きた波乱の人生について日本史学者が解説
大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回、先日注目を集めた皇族女性「式子内親王」について、日本史学者の榎村寛之さんに解説をしてもらいました。 【絵】愛子さまもご覧になった『時代不同歌合絵巻断簡(斎宮女御、式子内親王) 』。斎宮歴史博物館提供 * * * * * * * ◆式子内親王とは 最近、式子内親王(1149-1201)という源平合戦の頃を生きた皇族女性がちょっとした話題になった。敬宮愛子内親王殿下の卒業論文のテーマになったのである。 と言っても彼女はもともと、そこそこの知名度のある歌人であった。 『百人一首』では持統天皇と並んで二人だけの皇族女性の歌人であり ~玉の緒よ絶えなば絶えね永らへば忍ぶることの弱りもぞする~ (私の魂よ 絶えるのなら絶えてしまいなさい、いたずらに長生きしてしまうと、あの人のことをお慕いする気持ちを忍ぶのが弱って、表に出てしまうだろうから。) は、比較的覚えやすい歌なので、得意札にしている方も少なくないだろう。 しかし式子内親王が具体的にどんな人なのか、あまり知られていないのではないだろうか。今回はそれをまとめておこう。
◆11歳で賀茂斎王に 式子の父は後白河院。彼女はその第三皇女である。 平治元年(1159)。平安時代の幕引きの始まりといわれる平治の乱が起こった年に、11歳で賀茂斎王となった。 「賀茂斎王」とは、伊勢神宮に仕える「伊勢斎王」と同様、未婚の皇族女性がいわば天皇の代理として神に仕えるもので、9世紀前半に始まった制度である。 斎王は天皇即位の直後に、海亀の甲羅を焼いて占う「亀卜」で選ばれるのが建前だが、賀茂斎王の場合、数代の天皇にわたって一人の斎王が仕えることもあった。 伊勢と違い、京にごく近いという親近感もあったのだろう。その御所も斎王の宮殿「斎宮」ではなく、斎王の邸宅「斎院」と呼ばれ、伊勢と賀茂の斎王を呼び分ける時には、斎宮の誰々内親王、斎院の誰々内親王、などと言うようになった。 その全盛期は、円融天皇から後一条天皇まで五代、道長全盛時代を共に生き、文学サロンの女あるじで、自らも歌人だった大斎院と呼ばれた村上天皇の皇女、選子内親王の時である。
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