人間と神の間を橋渡しする「カッパ」 伝承残る長野で企画展
君は河童(カッパ)を見たか!――。多くのカッパ伝承が残る長野県の県立歴史館(同県千曲市)が、カッパを通じた人と水の世界を考える企画展を開いており、夏休み中の子どもや市民らが訪れています。カッパのイメージは時代により移り変わり、その姿を通じて水に対する人の意識の変化を読み取ろうとの狙い。カッパ伝承に新たな光を当て、来場者の興味を呼び覚ましています。
カッパを通じて人と水の世界を考える
「君は河童を見たか!―水辺の出会い―」と題した企画展の会場には、同県駒ケ根市に伝わるカッパが教えたとされる痛風の妙薬「加減湯(かげんとう)」の歴史や、江戸時代に捕獲・目撃されたと伝わるカッパの絵、カッパの手と言われてきた資料などを展示。 「河童画」の第一人者の小川芋銭(おがわ・うせん)や、地元千曲市出身の倉島丹浪(くらしま・たんろう)の作品を紹介し、上高地の河童橋と芥川龍之介の関係なども取り上げています。
県立博物館の解説によると古来、水は必要不可欠なものであると同時に洪水などの災いをもたらす存在でした。このため、水と人の接点となる水辺は生産活動の場であるとともに祈りの場でもありました。やがて水を制御できると人が考えるようになると、強大な力を持つ神に代わって人間の近くにカッパが登場します。 カッパは神と異なり水辺に住み、人が生活する世界と水の世界を行き来し、人に幸いを運んで来たり恐怖を与えたりします。そして人に寄り添いながら時代とともに立場を変えていきます……。 移り変わるこうしたカッパのイメージを通じて、水に対する人の意識の変化をたどり、水辺への関心を高めるのが展示の狙いです。
同館によると、カッパが登場したのは江戸時代の初めころ。それまでは暗闇などに目には見えない妖怪たちがいるとされていましたが、江戸時代には見えるものとして多くの妖怪がデビューし、カッパも仲間入り。カッパはこれまでの神に代わって水辺で人と関わりを持つようになります。 その例として、人間にいたずらしたり怖がらせたカッパが「おわびのため」として薬の作り方を人に教えるとの伝承は各地にあると言います。 駒ケ根市の「加減湯」の場合は、高遠藩の川奉行、中村新六の馬にいたずらしようとしたカッパが馬の尻尾に絡まったまま捕らえられ、「二度とこのようなことはしません」とわびて痛風の薬の作り方を教えたとされます。加減湯は戦前まで中村家が製造・販売していました。 江戸時代には多くの妖怪とともにカッパも関心を集め、各地のカッパの姿を伝聞で描いたとされるイラストのパンフレットが広く伝わりました。