「ハブそば」も登場 きょう沖縄そばの日 小麦粉でも「そば」なぜ? 進化続ける県民食
きょう17日は「沖縄そばの日」。 そば粉ではなく小麦粉でできた麺である沖縄そばが「そば」と名乗ることを認められたことを記念し制定された日だ。ソーキにテビチ、野菜など県内各地には多種多様な沖縄そばがあり、今や大人から子どもまでが親しむ県民食といえる。南風原町新川の「yu―i FACTORY(ユーイファクトリー)」は県内で唯一、防除対策で駆除された「ハブ」から、だしを取った「82(ハブ)そば」で注目を集める。猛毒を持ち危険で厄介者と知られるハブを食材として利活用し、月に一度の第三土曜日に40食限定で店舗横の「プレ82」で提供している。 【動画】ハブそばに注ぐ愛 誕生の裏側 同社は県内6市町村で防除対策のため殺処分となったハブを買い取り、ハブ革をあしらった財布やかばんなどの製造、販売を手掛ける。県内で唯一、原皮からハブ革に加工する「なめし」の製革技術を確立し、2008年に店をオープンした。 コロナ禍の20年ごろ、これまで廃棄していた「身」の利活用に取り組んだ。幸地賢尚代表は「ハブを加工する際に熱を通すと、いい匂いがしていたことから、そばだしにしようと思い立った。純度100パーセントのだしは、癖が強すぎて食べられなかった」と振り返る。毒のある頭を取り除いた厳選したハブ約10匹の身を一晩掛けて煮込み、うまみを抽出。カツオや昆布だしなどと合わせ、ほのかに樹木や土の香りがする野性味あるスープが誕生した。 完売しても沖縄そばの提供は赤字だと明かす幸地代表。「もったいないから始まり、たくさんの魅力に気付かされた。身近に生きるハブの良さを知ってもらい、沖縄の素材として長く親しまれるよう取り組みたい」とハブへの探究心は中毒だと笑う。「82そば」は同社のSNSで予約が必要。 多種多様な「沖縄そば」が生まれる続ける沖縄。しかし、米国による統治から日本の施政権下に移った1972年の「日本復帰」後に「沖縄そば」の名が存続の危機に直面した。 沖縄そばは小麦粉にかん水を加えて作る「中華麺」に分類される。豚骨やかつおだしのスープに三枚肉やかまぼこなどの具材を盛り付けた沖縄を代表する料理の一つ。めん類は琉球王朝時代に中国から伝わったとされ、1902年4月9日付琉球新報に掲載された「支那そば」の開店広告が、沖縄そばに関し残る最古の記録とされている。沖縄戦では多くの店が焼失したが、収容所では配給を使い食べられたという。72年の日本復帰後は「和そば」と区別するため「沖縄そば」の名が定着した。 しかし日本復帰後は日本の法律が適用され「そば」の名称には原料の3割以上がそば粉でなくてはならないとなった。76年に公正取引委員会は沖縄そばに対し「『そば』と表示してはならない」と注文を付けた。 長年親しまれた名を残し食文化を守るため、生麺組合役員らが公取委との粘り強い交渉の結果、78年10月17日に「沖縄そば」が認証された。全国麺類名産・特産の認定を受け、優れた食品であることも証明され、87年には県外市場への本格参入も認められた。 「沖縄そば」は多くの関係者の力によって危機を乗り越え、全国でも親しまれる料理に発展したといえる。17日の沖縄そばの日は、歴史に思いを巡らせ、そばをより一層おいしく食す日となりつつある。
琉球新報社