「突然『ここで脱いだらシュールで良くない』って…」「見つかってたら捕まってた」 手塚理美と川上麻衣子、二人の女優が明かす篠山紀信さん秘話
今年1月に83歳で亡くなった写真家・篠山紀信さん。三島由紀夫からジョン・レノンまで半世紀以上にわたり時代を象徴する人物を撮影し続けたが、今をときめく女優たちの写真集はたびたび世間を驚かせた。 【写真を見る】美貌は健在! 「ドイツの山中を裸で走り回った」と語る川上麻衣子 ***
手塚理美(62)もその一人だが、彼女が初めて脱いだのは篠山さんの前ではなかった。 「20歳になる前、小学生のジュニアモデル時代からお付き合いがあった沢渡朔(さわたりはじめ)さんに撮っていただきました」 と手塚が振り返る。 「その後、週刊朝日の表紙の撮影で篠山さんと初めてお会いした際に『沢渡だけずるい。僕にも撮らせて』と。沢渡さんに嫉妬していたみたい。私は“おじさんとおじさんの対決”に巻き込まれた感じ(笑)」 脱ぐことにためらいはなかったのか。 「10代の記録として残したかった。沢渡さんの作品も好きでした」
対照的だった二人の写真
日本大学芸術学部写真学科で同期だった沢渡と篠山さんは、このとき既に“二大巨匠”と称されるほどの存在になっていたが、撮影スタイルは対照的だった。 「沢渡さんは無口で何を考えているか分からない。撮影中にふらっとどこかに行ってしまうこともありました。作品は、素のままの姿を残しつつも、どこか現実離れした世界を写している感じ。そこには“透明な私”がいました。もちろんそれも私に違いないのですが」 一方の篠山さんは、 「沢渡さんの写真とは違う、静かに燃える炎のようなものが写っていました」
「ここで脱いだらシュールで良くない?」
撮影中も、沢渡とは異なり、篠山さんは喋りどおし。 「素を撮るというより、眠っているものを引き出そうとしてくる。それも結構強引で、私はそれを押し返す。でも、その応酬が楽しいんですよね。二人はまさに“静”と“動”。私は、“動の紀信さんと組んだらどんな写真集になるんだろう”という好奇心と、“撮れるもんなら撮ってごらん”という少女のいたずら心で、お仕事をお引き受けしました」 沢渡との写真集「少女だった」は海外で撮影されたが、篠山さんのそれは国内各地の四季を織り交ぜつつ1年かけて撮り下ろされた。 「夏は、浴衣を着て田舎の単線列車に乗っていたら、紀信さんが突然『ここで脱いだらシュールで良くない?』って。で、運転士さんの背を背景に裸でつり革を持った写真に。冬は、裸で雪に埋もれて。『雪ってあったかいんだな』と思ったことを鮮明に覚えています」 沢渡に遅れること1年半、篠山さんによる『四色の花火』が世に出ると、大きな話題に。2冊の写真集を上梓した手塚は、これ以降は写真集を出すことなく、女優業にまい進していった。