福永祐一調教師が振り返る「巨大なプレッシャーが襲いかかった‟あのダービー”」
キングヘイローでの経験があったことによる進化
キングヘイローのダービーから4年後の2002年、坂口厩舎のピースオブワールドで阪神ジュベナイルフィリーズを勝つことができた。自分にとっては初めてGⅠで1番人気に支持されたレースであり、しかも単勝オッズは1・5倍。あのときも午前中から緊張感はあったが、キングヘイローでの経験があったことで、決して緊張に飲まれてしまうことはなかった。 それ以降も、パフォーマンスに影響するほどに緊張したことはなく、適度な緊張感とうまくつき合ってこられたのも、ひとえにキングヘイローでのダービーの経験があったから。 後悔の念は尽きないが、それと同時に、駆け出しの頃にいかに得がたい経験をさせてもらったか、今となってはそのありがたさが骨身に沁みる。 【福永 祐一】 父は現役時代に「天才」と呼ばれた元騎手の福永洋一。 96年にデビューし、最多勝利新人騎手賞を受賞。 2005年にシーザリオでオークスとアメリカンオークスを制覇。 11年、 全国リーディングに輝き、JRA史上初の親子での達成となった。18年、日本ダービーをワグネリアンで優勝し、父が成し遂げられなかった福永家悲願のダービー制覇を実現。20年、コントレイルで無敗のクラシック三冠を達成。23年に全盛期での引退、調教師への転身を決断。自身の厩舎を開業してセカンドキャリアをスタートさせる
日刊SPA!