【特集】「家がマッチ箱をつぶしたようになっている」68人が犠牲になった中越地震から20年 証言でたどる 命を救おうとした人々 ≪新潟≫
記憶と教訓を未来へ
車をさらに山の奥へ走らせると……。 つくっていたのは、大規模なため池。 雪が少ない年でも田んぼへ水を供給できるようになり、さらなる収量の拡大に期待できるといいます。 Q)もっとおコメがおいしくなるということですか? 〈コメ農家 細金剛さん〉 「腕が違うから」 〈コメ農家 細金剛さん〉 「この辺は土壌が違うし、湧き水、それと寒暖の差、これでものすごくうまくなる」 さらに、新しい田んぼをつくるため整備も行われています。 黄金色に輝く稲穂を再び若栃に……。 2人は互いに励まし合いながら復旧に向けて力を合わせてきました。 〈コメ農家 細金剛さん〉 「山地を持続可能性があるようにするには圃場整備しかない、圃場整備をすると今度は誰でも農家を継げる、次世代に任せられる」 〈小千谷市役所 建設課 勝野和晃 課長〉 「こんな山の中で圃場整備するなんていうのが当時もう夢にも思わなかったので。ゼロに戻しただけなのでそこからは地域の方の努力ですよね」 あの日、誰もが不安なときを過ごす中で住民に寄り添い、命を守るため奮闘した人たち。 中越地震から20年……その記憶と教訓を未来へつなげていきます。