【特集】「家がマッチ箱をつぶしたようになっている」68人が犠牲になった中越地震から20年 証言でたどる 命を救おうとした人々 ≪新潟≫
マッチ箱を潰したような家
一晩中歩き続け明け方、塩谷集落に到着しました。 〈小千谷市役所 建設課 勝野和晃 課長〉 「とにかく早く助けてくれと、当時もう家がマッチ箱をつぶしたようになっているので」 しかし……。 〈小千谷市役所 建設課 勝野和晃 課長〉 「我々が行った時にはもう手の施しようがなかった。安全な車庫の中に……ふとんをかけられてご遺体だったのでしょうけど見たときはショックでしたね」 家屋の下敷きになっていた3人の小学生はすでに息を引き取っていました。 集落の住民たちは自衛隊のヘリコプターで避難したといいます。 駅伝クラブの3人は逃げ遅れがいないか1軒1軒確認したあと、歩いて市役所に向かいました。 道中では、こんな出来事が……。 〈小千谷市役所 建設課 勝野和晃 課長〉 「荷頃集落に行った時におばあちゃんが上でまだ取り残されているので助けに行ってくれないかと寝たきりのおばあちゃんだった。3人でおばあちゃん担ぐ人、布団を介護用の道具を持つ人で安全なところまで避難させた。とにかく自分たちが行かなきゃだめだという使命感にかられて行ったので」
“命のとりで”奮闘したあの日
命の最後のとりで……病院でも奮闘する人たちの姿がありました。 〈県立十日町病院 看護師 大渕美保さん〉 「すごいひび割れでした、もう崩れるんじゃないかなと。外傷で骨折の方も4人ほど受けた」 震源から直線距離で20キロ。 十日町市にある県立十日町病院です。 TeNYはその日の夜、病棟の様子を撮影していました。 次々と運ばれてくるケガ人……。 病室の外にも布団が敷かれました。 誰もが不安げな表情を浮かべていました。
「怖がる患者を避難させた」
〈県立十日町病院 放射線技師 小島靖之さん〉 「病棟が古いから一番安全な外来棟に移しましょうと」 〈県立十日町病院 看護師 大渕美保さん〉 「当時休日だったし男性職員もそんなに院内にいなかった。下まで下ろしたら病棟まで 上がってきてまた下ろす」 〈県立十日町病院 看護師 高橋八恵子さん〉 「大変だった。布団に乗っかってもらって、怖がる患者さんを避難させた」 土曜日の夕食時を襲った激しい揺れ……。 十日町市では午後6時前に震度6弱を観測し、その後も立て続けに余震が発生……。 午後6時半過ぎには再び震度6強の揺れに見舞われました。 〈県立十日町病院 看護師 高橋八恵子さん〉 「連絡とれてなかったよね。大丈夫かなと思いながら一晩過ごした」 家族と連絡が取れない状況で患者の対応にあたっていたといいます。