【中越地震20年】水没した集落でつなぐ震災の”記憶” 復興に向けて歩み続ける 震災復興資料館「郷見庵」とは
土砂崩れにより水没した長岡市旧山古志村の木籠集落に復興に向けて歩み続けてきた人たちがいます。 中越地震から20年……記憶と教訓を伝えるため住民はことし、新たな取り組みを始めました。
■震災復興資料館「郷見庵」
広がる笑顔や響き渡るにぎやかな声は復興へ歩み続けた証。 長岡市旧山古志村の木籠集落にある震災復興資料館「郷見庵(さとみあん)」です。 訪れた人を笑顔で迎える松井キミさん……そして、娘の智美さんです。 <松井キミさん> 「今日は震災の感謝デー、今まで厄介になった人に気持ちだけど芋を掘って芋煮にしてみんなに感謝の気持ちを伝えて」 多くの人の支えがあったから今がある。智美さん……地震から20年の節目に始めたことがありました。 < 娘・智美さん> 「役場に行って木籠の状況を説明する『もう村が沈むかもしれない』 っていうようなことを言って」
■68人が犠牲となった中越地震
最大震度7の激しい揺れ。2004年の中越地震です。 県内では68人が犠牲となり、避難した人は最大で10万人を超えました。 震度6強を観測した旧山古志村。道路はひび割れ、いくつもの建物が倒壊…… ライフラインが断たれ孤立状態に……全ての住民がふるさとを離れる全村避難を強いられました。 <当時避難する住民> 「夜だってさ、ゆれるから。全然、眠れないさ。さびしいね。また来れればいいけど、だめだね」 山間にある木籠集落は地震によって大規模な土砂崩れが発生。集落を流れる川がせき止められ、多くの民家が水に浸かりました。 新築したばかりのわが家…… 一時帰宅でキミさんが夫・治二さんと一緒に足を踏み入れた自宅は3階まで浸水していました。 <松井キミさん> 「ひどいです……ひどいけどやっぱりまた戻ってきたい。このまま春になったら、みんなで子どもらと一緒に、ここでお茶を飲みたいです」 それでも……「必ずふるさとに帰る」と治二さんとキミさんが先頭に立ち木籠集落は高台へと移転……少しずつ、元の生活を取り戻していきました。 <松井キミさん> 「お父さんについて帰ってきました。率直に幸せだな……帰ってきて」 <夫・治二さん> 「やっぱりここが自分のふるさとですからここが一番ですよ」 ふるさとの復興に力を尽くしてきた治二さんは9年前に亡くなりました。 孫の小雪さんです。ことしの盆……20歳を迎えたことを治二さんに報告しました。 <松井キミさん> 「体育館でね、よちよち歩きの小雪が父ちゃん小雪が歩いたよって、 それから20年だもんな」 小雪さんが生まれたのは地震が起きる前の年の冬。 避難所ではキミさんが子守りしていたといいます。当時の記憶はありませんが、治二さんのことはしっかりと覚えています。 <孫・小雪さん> 「普段は言い合いとかしてたり、 でも一回プリキュアの人形を買ってきてくれたことがあって、普段そういうことをあまりしない人だったのでそのときはすごい印象に残ってる」 小雪さんは今、山古志で暮らしながら看護師を目指しています。多くの人の支援を受けてきたふるさと……「自分も人の役に立ちたい」と思うようになりました。 <孫・小雪さん> 「病気になっても最後までその人たちらしい人生が送れて望んだ生活ができるように支援していきたいなと思います」