戦前に米国留学し、議会図書館で日本課長の公職得る 波乱の人生歩んだ日米草分けの女性が現代に問うもの【ワシントン報告⑤坂西志保】
米ワシントンの議会図書館には戦前、日本課長に日本人女性の坂西志保がいた。渡米がはるかに難しかった時代に奨学金を得て留学し、米政府の公職にまで就いた。日米関係の草分けである。太平洋戦争を機に帰国を余儀なくされてから昨年で80年になった。戦後は評論家として活躍した。身一つで切り開いた波乱の人生は、内向きが指摘される現代の日本において、ハングリー精神のようなものを問いかけているのではないか。(共同通信ワシントン支局長 堀越豊裕) ▽「今よりずっと大変」 議会図書館から歩いて5分ほどの静かな住宅街に赤い小さな建物が立つ。坂西が暮らした家の一つだ。休日も図書館での研究を好んだとされ、便利な場所だったのだろう。 海外渡航は船の時代で、日米は開戦に向かう難しい時期だった。世界最大級の蔵書を誇る議会図書館で現在、日本関係を担当する伊東英一司書は「今よりずっと大変な時代であり、高い能力を持つ女性だったと思う」と評価した。2人の仕事の内容や立場は同じだが、当時の方がはるかに苦労は多かっただろうと推し量った。
図書館には書簡を含めて坂西の史料が数多く残っている。リストだけでも50ページ以上に上る膨大な量だ。日本関係の蔵書収集など専門家として果たした役割を高く評価しているからだが、1976年に79歳で亡くなってから半世紀近く過ぎた今、邦人の間でも坂西の名前を知る人は少ない。 史料の中には日米修好通商条約を結んだタウンゼント・ハリスに関する研究への意欲を示す書面のほか、慶応義塾の小泉信三塾長から、慶応の評議員が米国を訪れるので対応をよろしくお願いしたいとの手紙などが残っている。 ▽スパイ容疑 北海道塩谷村(現小樽市)に生まれた。父親は元警察官。裕福ではない。米国人宣教師らに助けられながら女学校に進んだ。東京女子大の学長だった旧5千円札の新渡戸稲造との接点もあったようだ。米国に留学し、博士号も取得した。夜遅くまで勉強する東洋人の姿は有名だったという。 坂西を語る際、太平洋戦争は避けられない。開戦を控え情報収集を急ぐ日本側は米国人脈を広げる坂西を頼り、坂西も応じた。米情報機関はスパイと見なしていた。海軍情報部で日本の専門家だったエリス・ザカリアスは著書で「米国における最良の工作員の一人」と書き残している。