相手選手も圧倒された「緑の壁」…J3松本山雅サポーターがつくりだすスタジアム『空気』は15年経った今でもすごかった
◇記者コラム「Free Talking」 サッカーのJ3松本山雅FCの4年ぶりとなるJ2復帰はかなわなかった。12月7日、富山県総合運動公園陸上競技場で行われたJ2昇格プレーオフ決勝。松本は試合終了間際、富山に2―2に追い付かれ、J2行きの条件となる勝利を逃した。歓喜と悲嘆。残酷なコントラストが刻まれたピッチを現地で見つめた。 松本の昇格が懸かった試合を取材するのは2度目だった。最初は2009年12月。当時、長野・松本支局の一員として、ホームのアルウィン(松本市)で日本フットボールリーグ(JFL)入りを決めた松本の雄姿を現場で見届けた。熱を帯びたファンやサポーターらがゴール裏でつくる「緑の壁」の強烈な印象は忘れられない。当時、アマチュアの北信越1部リーグ。1万人以上が集まった異様な光景だった。 記者席でカテゴリーを駆け上がる高揚感に触れた冬から15年。「緑の壁」は変わらず厚く、熱かった。敵地にもかかわらず、試合開始3時間前から緑色のユニホームを着た人たちが入場を待つ長蛇の列をつくり、試合前のシュート練習から選手の一挙手一投足に大きな拍手と歓声を送った。 試合中、松本側がピッチに注いだ声量は相手を圧倒していた。土壇場の同点劇で昇格を決めた富山の選手も「山雅の応援がすごかった」「相手のサポーターが多くて」と舌を巻いた。衝撃的な展開で昇格はならなかったものの、試合後は松本のゴール裏から選手を鼓舞する声が聞こえた。久々に目の当たりにした「緑の壁」は、さらに強固さを増したようだった。 「松本山雅FCがJリーグでも新しい、市民が支えるモデルとなるようなクラブになると自信を持っている」 JFLに上がったばかりの10年、当時の松本の社長が豪語したことを思い出した。12年からJ2、15年にはクラブ史上初のJ1を戦った松本もJ1再挑戦となった19年以降は低迷が続き、22年からはJ3を主戦場とする。それでも、現地で感じたファンの温かさはJリーグ屈指だとの印象は変わらない。かつての赴任地という“郷愁”を刺激されつつ、「やっぱり山雅は山雅だった」と思うのである。(サッカー担当・唐沢裕亮)
中日スポーツ