リスクが高い? 10代で欧州移籍した日本人選手(5)海外挑戦は完全に失敗…。名将が認めていた和製アンリ
今夏、19歳の塩貝健人が横浜F・マリノスへの加入内定を解除してオランダのNECナイメヘンヘに移籍することが発表された。これまでも10代で欧州に旅立った日本人選手は多くいたが、その後のキャリアはどうだったのか。今回は、過去に10代で欧州に移籍した主な日本人選手を紹介する。※成績は『transfermarkt』を参照
FW:伊藤翔(いとう・しょう) 生年月日:1988年7月24日 移籍時期:2007年1月(18歳) 移籍:中京大中京高校→グルノーブル(フランス) 今でこそ「高校卒業→欧州クラブ移籍」というケースは珍しくなくなったが、その先駆者となったのが伊藤翔だ。 中京大中京高校のキャプテンを務めていた伊藤は、2006年8月にプレミアリーグ(イングランド1部)の強豪アーセナルのトライアルテストへ参加。アーセン・ベンゲル監督(当時)にティエリ・アンリに喩えられて賞賛されたことから、“和製アンリ”として一気に注目度を高めた。 2007年1月には、日本サッカー界の歴史が動く。全国高等学校サッカー選手権大会終了後、18歳の伊藤はグルノーブルと契約。Jリーグクラブを経由せずに直接欧州クラブとプロ契約を結んだ初めての選手となった。 しかし、伊藤はフランスの地で辛酸をなめることになる。加入初年度の2006/07シーズンにリーグ戦わずか1試合の出場に終わると、2007/08シーズンも3試合のみの出場に終わる。グルノーブルが1部昇格を果たした2008/09シーズンに至っては、公式戦出場の機会が全くなかった。2009/10シーズンもリーグ戦1試合の出場に留まると、2010年6月には清水エスパルスへ完全移籍。逆輸入の形でJリーグに初参戦し、欧州での戦いに区切りをつけた。 リーグ2(フランス2部)やリーグ1(同1部)下位が主戦場だったグルノーブルでは、経験の少ない若手の伊藤に与えられるチャンスは数少なかった。結果論ではあるが、安定的に出場機会が得られるような環境を選んでいれば、伊藤の欧州挑戦はまた違った内容になっていたかもしれない。「高校卒業→欧州クラブ移籍」の先例を作った男は、グルノーブル退団以降一度も欧州クラブへの移籍を実現できていない。
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